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森金融庁長官、3年目続投の課題

ご挨拶

初回は、先だって週刊東洋経済に掲載しました記事とその背景について補完してお伝えいたします。

◎3年目の異例

 

 下記のように金融庁長官の3年続投というのは極めて異例な事態です。どのような背景があったのでしょうか。何か特殊な事情がない限り、事務次官クラスの長官が続投するということはあり得ません。霞が関では4年というケースもありましたが、3年もほとんどありません。

 五味氏は国家公務員の定年引上げという霞が関全体の人事政策に引きずられました。ご本人は本当に退任するつもりだと伺いました。
 次の畑中氏ですが、これは森信親(昭和55年大蔵省入省)氏の長官就任をスムーズにするための環境整備という色彩が強かったと思います。森氏は当時、検査局長という立場にあり、金融庁の業務と組織の見直しを外部のコンサルの知恵を借りながら、その構想を練っていました。

 その相談相手となったのが、現在、検査局総務課長の堀本善雄氏です。当時、プオロモントリー・ジャパンというコンサルティング会社に在籍しており、森氏が堀本氏に組織の見直しについて打診した経緯があります。もしかすると堀本氏から森氏へ打診したのかもしれませんが、関係が生じました。
 堀本氏は平成2年の入省ですが、平成21年に財務省を辞め、コンサルティング会社に転じました。その間、検査局にも在籍したことがあります。 一度、民間に転じた人物を再度、役所が雇用することは原則としてありません。財務省出身では初めてのことでした。アメリカではリボルビング・ドアと称して、公的機関と民間企業との間を行き来する人が少なくありません。ワシントンとニューヨークを行き来するのです。4回、あるいは5回も行き来する猛者もいます。これまでの霞が関の慣習を壊し、こうした人事を断行したところにも森氏の固い意志が読み取れます。
 堀本氏を役所に戻すために事実上、堀本氏を採用するための採用試験を実施し、手続きも万全としました。この試験実施にあたって、森氏は畑中氏に相談し、踏み切ったという経緯がありました。森・堀本ラインを作るという構想を支えるために、畑中氏が続投して、いわば出戻りの人物への庁内の反発を抑えようとしたわけです。その後、まさに堀本氏はそれこそ獅子奮迅の働きをします。(この話題は本題からそれていきますので、いずれまた触れることに致します)
 東洋経済に書いたように森長官には金融行政の大転換というべき、監督・検査の一体化、モニタリング体制の整備という大きな目標があります。理念を実現するには、組織の根拠となる規範、政省令の見直しや予算措置がともないます。もし、今年、森長官が勇退すると場合によっては、森路線が断絶、途絶してしまう可能性があります。言い出しっぺが不在となれば、国会の委員会でもいい顔をしないでしょう。十分な説明ができるかどうかわかりません。もっとも重要なのは意欲と迫力でしょう。それをもっているのは森長官自身です。(組織の見直しの本質的な話はこれまた別途、書いていくつもりです)だから、3年目の続投だったわけです(まだ決定ではないので、あくまで観測記事としてご理解下さい。定例人事異動は6月です)。
 なお、事実上、監督と検査の一体化を進めてきたのですから、「昨年、やってしまえばよかった」との声も金融庁内部から聞こえます。たしかにその通りです。しかし、そこにはいくつかの未解決の課題が残されていました。ひとつは、東洋経済に書いたように(本誌を読んで頂ければ幸いです)、証券監視委の扱いがふらついていたことです。証券会社による損失補てん事件の結果、政治的な思惑で新設されたこの委員会のあり方については、事件が起こって20年も経過するにも拘わらず、誰も手を付けていなかったのです。おそらく誰も関心を持っていなかったはずです。しかし、よくよく考えてみれば、金融庁の本業なのです。それを分離しておくほうがおかしいと言えます。こうした組織は何か事件がないと世間の関心を呼びません。当初の意図が次第に薄れていく中で問題意識は希薄化していきます。こうした組織は霞が関を見渡せばごろごろしています。(これもまた別の機会に)
 もうひとつの未解決の課題が地方財務局との関係です。財務局は財務省の地方支局ですが、金融庁と財務省との関係をどうするかという、大蔵省解体時の大問題にリンクするため、簡単にはいかない事情があります。
ブログでは長すぎますので、次回以降のテーマにしたいと思います。併せて、東洋経済に書いた人事予想ももう少し詳しく書いていくことにいたします。

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3年目が見えてきた辣腕トップ

森長官の腹積もり(週刊東洋経済3月25日号抜粋)


●森長官の続投と国家への貢献

 森信親金融庁長官(1980年財務所入省)の続投が濃厚となった。複数の関係筋によると今後、特段の事情がない限り、6月の定期異動で森金融行政は3期目に突入する可能性が高い。3年続投は五味廣文、畑中龍太郎氏に次いで3人目。通常であれば勇退するタイミングだが、官邸からの強い慰留があった模様だ。今年の人事では金融庁のいわば親元である財務省の事務次官に福田淳一主計局長(82年)が昇格することが確実視されており、両省庁間の人事異動を含めたコミュニケーションの維持を考慮すれば、年次の逆転が気がかりとなる。そうした事情を呑み込んで麻生副総理、官邸が森長官の業績を高く評価し、続投を判断したとすれば、安倍政権の長期化を背景に場合によっては、さらに4年続投という事態も想定される。
 では、森長官続投の場合、幹部体制はどうなるか。もっとも簡単なのはすべて留任というパターンだ。しかし、池田唯一総務企画局長(82年)は4年目、遠藤俊英監督局長(82年)、三井秀範検査局長(83年)も3年目となるため、常識的には行政執行のリスクを回避し、キャリアを偏在させないためにも異動が想定される。金融庁内には、異動対象となる幹部は氷見野良三金融国際審議官(83年)を含めて4人しかいないため、いずれにせよこの組み合わせとなる。
次の長官人事含みで局長人事が決まる。遠藤続投から長官なのか、池田続投から長官、はたまた氷見野金融国際審議官を監督局長とスワップして、次の長官とするのか。これまで監督局長経験者から長官にするというパターンが確立しているが、それを崩し、総務企画局長や金融国際審議官から長官という可能性も否定できないだけに、複雑な組み合わせとなる。
人事を握るキーワードがある。それは「国益への貢献」。この言葉は一昨年、森長官が自ら筆を入れて作った「金融行政方針」に盛り込まれているものだ。森長官は霞が関の人事評価について初めてこの言葉を公式文書に文字にした人物。国家公務員なので当たり前のようだが、公正な人事評価という言葉はあっても「国益への貢献」という文言は国家公務員法を読んでも出てこない。国益という広い視野で実行することを求めた長官の眼鏡にかなった人物が後継者になるはずである。勿論、長官自らに課している基準であることは間違いない。

● ベストプラクティスを求める「対話」(略)

 

●ベンチマークの運用を巡る駆け引き(略)

 

●マニュアルの廃止と組織の見直し

 金融庁のこれまでのルールベースの行政の背景となっていたのが、金融検査マニュアルである。もともとは金融検査官が携行するマニュアルで検査の対象となる金融機関側には示していなかったものである。不良債権の処理の促進、資産査定の視点の共有化という時代的要請によって公開に踏み切り、現在に至っている。中身は経営管理(ガバナンス)と貸出等のリスク管理についてのチェックリストである。極めて詳細にケースを分類し、適否基準、様式を定め、とりわけ資産査定関係は詳細で全体の3分の2を占める。預金等受入金融機関のマニュアルだけで400ページあまり。ほかの業種をふくめると数千ページにもなる膨大なマニュアルである。
 ルールベースからプリンシプルベースへのモニタリングへの転換にともない、現在、「金融モニタリング有識者会議」においてマニュアル見直しの検討が進められおり、3月末に報告書がまとまる予定だ。監督指針との統合が想定されており、ボリュームも大きく圧縮される見込み。報告書をもとに年末までに具体案の検討が進められ、来年度から「新しいモニタリング」の姿が現れることになる。ルールベースのモニタリングからの脱却が形式的にも明らかとなる。
 森長官の就任以来、金融庁の組織も大きく変化している。オフサイト・オンサイトの情報を共有するために監督局職員の検査局併任が多くなり、いまや同じ部屋に監督と検査の職員が同居する。事実上、監督局と検査局が融合しつつある。ならば、形式的にも局を統合するのが自然。実際、歴代長官も組織見直しの構想を語っており、森長官に至って既成事実化されつつある。来年度の統合となれば内閣府設置法の政令改正と予算措置がともなうため、この夏には方針が明示されるだろう。また、財務局の理財部を金融と主計・理財とに分離することも検討されているようだが、これは財務省との交渉事で予断を許さない。(以下略)