· 

大森泰人氏のリアルなエッセイ

大森泰人氏(第一生命経済研究所顧問・財務省OB)が週刊金融財政事情で連載しているエッセイ「金融と経済と人間と」が財務省内で評判になっている。時の人である佐川氏の人となりとか、文書書き換え問題への視点とか、みずから決裁文書を変造したことを告白するなど、いつもながらの達筆を見せている。

◎20年前の佐川氏の置かれた厳しい環境

 

 大森泰人氏といえば、歯に衣着せぬ痛快な文章で、しかも本質を見極めるすぐれたエッセイストとして有名です。かつて、強引な立ち入り検査を行い、それが世間に喝采を浴びていたころ、金融検査官に対してマシンガンをもたせたサルと表現し、一部で物議をかもしました(当時は金融庁の現役でした)。とまれ、最近の時事問題、とりわけ森友学園、文科省の前川事務次官の辞任問題関連の連作のエッセイは、財務省内の雰囲気を伝える貴重なものです。ここまで書いていいのかと財務省、金融庁の中でよく読まれています。

 全部をコピペできませんので、下記の掲載号を手に取って頂き、読んで頂ければ幸甚です(小生は金融財政事情研究会の出身ですので、応援の気持ちがあります)。

 

「昨年秋は山一破綻20 年の取材を受け、今年に入ると金融ビッグバン20 年の取材だが、後者は大蔵省接待事件と重なって円滑に語れない。大蔵省の「局」に検査部門も含めると、 1998年1月に銀行局で2人が逮捕され1人が自殺し、3月に証券局で2人が逮捕され銀行局でさらに1 人が自殺した。証券局でビッグバン法案の現場監督をしていた私は、後任の総務課総括補佐が逮捕され前任者として兼務する展開になり、銀行局総務課の相方だったのが佐川宣寿さんになる。」

「私がかろうじて正気の淵にとどまっていたのに対し、佐川さんは臨界点を超えたように見えた。大蔵省から分離する金融監督庁に誰を送るか相談しても、目がうつろで反応がない。「大森さんに任せますよ」。職場から同じように逮捕者が出ても、自ら命を絶つ者まで出るか否かの違いを痛切に感じた。異動で私は公言どおり東京国税局の調査部長になり、佐川さんは近畿財務局の理財部長になる。憔悴した佐川さんには酷な人事に思えた。」

(『20年前』2018. 3.26号)

 

大森氏は「上司や官邸しか見ていないキャリアが、守るべき現場のノンキャリアを見殺しにした」とする論調への違和感から、大蔵省接待事件で2人のノンキャリアが自殺して精神衰弱になり・・・と、森友学園問題で再度起こってしまった自殺に遭遇してしまった佐川氏の悲しい運命について書き綴っています。文書書き換え事件の真実を想像することはできますが、おそらく今後、検察なり、財務省が公表する「事実」は真実ではない可能性が多分にあります。そうした手続きはさておき、どうしようもない現実に投げ込まれた人間への温かい視線を感じます。

 佐川氏はパワハラだという人がいます。実際、小生も何度もお会いしていますが、詰める人だという印象があります。詰めるということは相手に余裕を与えないということです。税の世界では当然のことでしょう。また、途中で人間が変わったという人もいます。これは大森氏のエッセイに触れられているように、20年前の接待事件がきっかけだったかもしれません。

 小生も自殺された方のお通夜に参列致しました。その式場の外でベテラン(ノンキャリ)の若い職員が大声で何事かを叫びながら走り回り、号泣していました。その人の周りにはなだめる人が群れるという異様な雰囲気でした。一方、式場の奥はこれまた異様に静かでした。外の騒ぎがなかったように、ある大物のキャリアの方が微動だにせず、前をまっすぐ見たまま、ひとことも話さず、ひたすらお酒を飲んでいたことを思い出します。精神を保つことができた人と、生身で接してアンバランスになった人に分かれた現場を見た思いがしました。それにしても佐川氏は数奇としかいいようがありません。

 

「焦点の財務省決裁文書は、書換え前のほうが奇怪な印象を受ける。総理夫人のお言葉だの、政治家の学園への来訪だの、日本会議国会議員懇談会のメンバーだの逸話に満ち、普通の決裁文書のイメージからかけ離れている。同じ内容を、判断の参考文書として作るか、口頭で伝えていれば、書換えは起きなかった。もとより奇怪な決裁文書は、役所に忖度させるのを正義と信じ、ゴミの損害賠償を掲げて恫喝する交渉相手の奇怪さを反映している。証拠隠滅のおそれもなさそうなのに、いつまで交渉相手を勾留しておく気だろうと私の理性は疑問を呈するが、保釈されて自由に語り始めるのを想像すると、もうしばらくは見たくないな、と感情が要求するのは避けがたい。」

(『誤解の風景』2018. 4. 2号)

 

 国有財産の売却は官対民の立場で、つまりお上が目下の民間人に払い下げるという関係ではありません。本当にただで払い下げた場合は官民の関係でしょう。明治時代以降、払い下げた国有財産はとんでもない規模と金額になるでしょう。すこし横道になりますが、三菱にせよ、三井財閥にせよです。たとえば皇居の周りの土地は元はすべて国有地です。それを払い下げ(売却)て、財閥の土地となり、大手メディアの本社となっているわけです。経緯を知っている人は知っています。また、ある有名ホテルは安い賃料で超長期に借りっぱなしです。

 さて、国有地売却ですが、現実は民対民です。普通の契約で売買するだけです。となると何が起こるか。強いもの(強く主張するもの)が勝つのです。そこには駆け引きもあります。おどしもあります。森友学園のあの弁護士の汚い言葉の数々。ならば売買交渉を止めてしまえばいいではないかと思われるでしょうが、すでに既成事実化された枠組みのなかでは逃げようがありません。ヤクザにつかまった銀行の総務部の担当者のようなものでしょうか。

 そうした奇怪な人たちと交渉するのは百戦錬磨のベテランです。決裁文書の捺印の部分をご覧になればわかりますが、奇妙なことに最高責任者は管財部次長となっています。ほかは事後承認です。リスク回避のための、あるいは組織防衛のための知恵と言えるでしょう。

 大森氏もそんな人たちとはあまり会いたくないようで、「証拠隠滅のおそれもなさそうなのに、いつまで交渉相手を勾留しておく気だろうと私の理性は疑問を呈するが、保釈されて自由に語り始めるのを想像すると、もうしばらくは見たくないな、と感情が要求するのは避けがたい」と本音を語っています。ここでまた横道ですが、籠池夫妻の拘留は一体いつまで続けるのでしょうか。詐欺容疑(刑法の量刑は最長10年の懲役)で、昨年の8月逮捕から10か月の拘留はいかにも長すぎます。釈放すれば何をしゃべるかわからないから拘留を続けるとしたら、大きく言えば人権侵害、刑訴法からみても認めがたいのではないかと思います。それ以上の法益とは何でしょうか。拘留の長さはこの事件の異様さを示しています。完全に政治判断でしょう。禍根を残さないよう願うばかりです。

 

ある晩、 主管の役所から、「明朝に大蔵大臣印をもらいに行きます」と電話が来て凍りつく。残業が続いたのと共感しない共管だったせいか、各省共同で閣議にかけるための大蔵省内の決裁手続をつい忘れていた。大臣印は、 官房秘書課の公印管理者に決裁完了を見せて押すが、これから決裁を始めても間に合わず、閣議を延期してもらうわけにもいかない。そこで、 別の完了済みの決裁文書にその法律名を書いた紙を貼って急場をしのぎ、 決裁は事後承諾にした。もとより省内の実質判断は済んでいるし、すでに批判され、廃止された法律ではあるが、これまで内緒にしてきた。

 今さら恥をさらすのは、多くの官僚OBが、「自分の行政経験上、決裁文書の書換えなど考えられない」 と自信満々に語るからである。「本当ですか」「若いころ恥ずかしい失敗をしていませんか」「結論には影響ないからいいやと、手続をごまかした経験はないですか」と聞いてみたくなる。」

(『もっと昔の話』2018. 4.16号) 

 

 大森氏は決裁文書を偽造したことを告白しています。もともと決裁文書は表のカガミガキという1枚だけが重要でその下の文書はいわば付属品。押印する管理者も「表紙しか見ていない。それだけみればいいものだと認識している」(財務省OB)と語っています。見られないものだと確信しているからこその緊急避難処置だったのだろうと思います。でも、そんなものという雰囲気がよくわかります。幹部の決裁文書は「未決」の箱から「既決」へと移動するだけなのです。勿論、その前に十分な検討があることは当然のことです。