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霞が関幹部職員の任命責任は内閣官房長官にある

財務省の佐川宣寿前国税庁長官(元理財局長)とセクハラ疑惑で退任した福田淳一前事務次官の任命責任を問う声が高い。国会でもマスコミでも麻生財務大臣の任命責任があるのだから、辞職せよと。しかし、4年前。2014年から霞が関の幹部職員(600人程度。審議官クラス以上)の人事権は大臣ではなく内閣官房長官にある。その事務方としての内閣人事局が存在するが、実際は菅官房長官が人事権を握っている。では、柳瀬唯夫氏(経済産業審議官・元総理秘書官)を含む任命責任は形式的にも実質的にも菅官房長官にあると考えるべきではないか。

 

官房長官に人事異動の説明責任が法律上明記

 

 霞が関の幹部人事は3月末ころ、素案を内閣人事局に提示し、5月の連休明けにもおおよその人事案が決まります。そして国会が閉会される6月末から7月初めに定例の人事異動が行われます。ひと昔は、事務次官が所管の大臣の内示をもらって、内閣官房長官との人事検討会議に臨み、政府としての人事異動を決定していました。この人事作業はいわば事後承諾であり、形式的なものでした。大臣の任命権があったからです。しかし、2014年に国会公務員法と内閣法の改正により、内閣官房に内閣人事局が新設され、幹部人事は官邸=内閣官房で決定されることになりました。

 当初は、また担当大臣の意向が働いていましたが、政治主導という大義名分のもと、次第に官邸の意向が色濃く反映されるようになりました。多くの事務次官、局長が政治的な配慮を背景に任命されています。現政権にとって都合のいい主張、考え方をもつ幹部が登用されています。また、女性登用も政治色の強いものとなりました。

 こうした政治色、官邸の意向の働く人事は、アメリカを見るまでもなく、中国も含め世界的な常識となっています。こうした幹部職員をポリティカルアポインティと呼んでいます。そう、ポリティカルなのです。

 さて、ここで気になるのは、森友学園問題などで辞任した佐川氏、福田氏、そして加計学園問題での柳瀬氏の任命(監督)責任です。明らかに形式的には内閣官房長官にあります。法律にそう明記されています。

 国家公務員制度改革基本法では「内閣官房長官は、政府全体を通ずる国家公務員の人事管理について、国民に説明する責任を負うとともに、第5条第4項に掲げる事務及びこれらに関連する事務を所掌するものとすること。」と人事管理についての説明責任を負っています。任命するのですから、説明責任も当然負っているということです。

 また、内閣人事局に任命・監督責任があるというロジックもあるかもしれません。しかし、内閣人局はあくまで裏方。内閣法によれば、「内閣人事局長は、内閣官房長官を助け、命を受けて局務を掌理するものとし、内閣総理大臣が内閣官房副長官の中から指名する者をもつて充てる。」とされており、結局、内閣人事局長は内閣官房長官のサポート役となっています。

 したがって、結論から言えば、麻生大臣には任命責任はなく、世耕経済産業大臣にも責任はありません。

 霞が関は官邸の顔色を窺うことを優先しています。嫌われればお終い、実績を挙げられなくなれば次はありません。官邸は再就職先まで事実上管理していますから、役人は官房長官には逆らうことはできません。

 

◎財務事務次官に浅川財務官兼務説

 

 さて、任命責任の所在といっても濃淡があり、大臣が責任を感じれば、あるいは世論(以前の人事制度しか知らない人たちも含めて)の意向で責任を取ることになります。麻生大臣が辞任は、佐川事件が大きいことを意味します。世耕大臣が辞めれば、加計学園問題が深刻だということを意味します。そうなれば、次の事務次官以下の幹部の責任は免れません。

 財務省では次の事務次官に岡本主計局長が最有力視されています。既定路線です。しかし、佐川氏が決裁文書を書き換えたときの官房長ですので、その責任がクローズアップされる可能性があります。となると、ほかに事務次官候補者がいません。いま、浅川財務官を事務次官、あるいは事務次官兼務とするのではないかとのうわさで持ち切りです。金融庁の森長官を持ってくるという奇策案も流れています。検察の佐川氏に対する訴追については、5月中に不起訴処分とするという見方が流れています。そのあとに、国家公務員法による処分が出されます。どの程度の範囲まで責任を負うのでしょうか。