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財政赤字拡大容認論と低金利維持の実現可能性

日銀の金融政策の限界から有効なマクロ政策として財政赤字拡大を容認する主張が広がっている。赤字国債の発行残高は増加を続け、PBの黒字化の展望も見えない。厳しい財政状態にも拘わらず、財政赤字拡大を容認する論調の底流に、「今後とも利子率(国債金利)が名目GDPの伸び率を必ず下回る」との前提がある。この条件を満たすなら財政の破たんにつながらず、経済成長を財政政策によって促進できるという考え方である。最近、日経新聞のコラム「経済教室」で評判となった「財政赤字拡大容認論を問う」という3本の論文が掲載された。この論文の共通の論点であった利子率と名目GDP伸び率の関係から、容認論の現実性について考えてみたい。

(PB=基礎的財政収支。新規国債発行額を除いた歳入総額と、国債費(国債の償還・利払い費用)を除いた歳出総額との収支)

◎国債GDP比率は安定するのか

 

 3つの論文とは、①「債務、コスト限定的で効果大」(ピーターソン国際経済研究所 オリビエ・ブランシャール・シニア・フェロー 、田代毅・客員研究員)、②「超低金利下でも維持不可能」(星岳雄 東京大学教授)、③「既に債務危機と現状認識を」(植田健一 東京大学准教授)です。本文は文末のURLを参照してください。

 

 まず、学説のおさらい。「国債利回り(=利子率)が名目GDP伸び率を下回ることはない」というのが経済学では標準的な仮定となっています。これはエコノミストの間でもほぼ常識ですし、霞が関でも本石町でも一般的な認識となっています。

 

  ところが、現実には2013年以降、つまり日銀の異次元緩和以降、両者の関係は、GDP伸び率が利子率を上回って推移しています。この現実を、従来の考え方が間違っていたと解釈するか、一時的な現象で継続性がないととらえるかで、財政赤字の将来の収支見通しが変わってきます。

 

 星氏はこの仕組みをわかり易く説明しています。

「利子率が成長率を上回っていれば、国債の量をGDPで割った国債GDP比率は、放っておけばどんどん上昇していく。分子の国債が増える速度(利子率)が分母のGDPが増える速度(成長率)を上回るので、国債GDP比率は上昇し続ける。この状況では、将来のどこかで基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字にしない限り、財政はいずれ破綻する。ところが利子率が成長率を下回る世界では状況は全く異なる。分子の増加速度が分母の増加速度を下回るので、一切返済しなくても国債GDP比率は低下していく。従って日本をはじめ先進国が最近経験している利子率が成長率を下回る状況が長く続くなら、一見巨額に見える国債残高も問題にする必要はなくなる。」

 

 以上のロジックには誰も異論がありません。しかし、その後が違ってきます。国内の民需が弱いのなら財政拡大を主張するブランシャール氏は、「この状況はしばらく変わらないだろう。金融政策は量的緩和からマイナス金利に至るまであらゆる手を打ってきたが、不十分だった。となれば、需要を刺激するために財政政策を動員するのは理にかなう。金利水準は将来にわたり極めて低いと見込まれるため、公的債務の財政・経済コストは小さくて済む一方で、財政出動による経済刺激効果は極めて大きいと期待できる」と財政出動を促します。

 

 金利水準は将来にわたり極めて低いと見込まれるため、財政出動による経済刺激効果は極めて大きいと期待できるというのです。

 

 これに対し、星氏は、「利子率が成長率を下回れば、返済がなくても国債GDP比率が低下するのは確かだ。しかし返済がないだけでなく財政赤字があれば、赤字をファイナンス(資金繰り)するために新たな国債発行が必要になる。さらに財政赤字の額が十分に大きければ、たとえ利子率が成長率を下回っていても国債GDP比率は上昇してしまう」と反論します。

 

 現状のPBの赤字が続くのなら、「たとえ利子率が成長率を下回る状態が続いても、際限なしに財政赤字は続けられないということだ。低い利子率は財政費用を削減するが、それでも財政赤字には限度がある」と主張します。PBの赤字要因として挙げるのは、年金、医療、介護の社会保障関連予算のさらなる増大です。

 

 植田氏の考え方も星氏と同様で、「つまり国債残高を一定に保つだけならば、多少は基礎的財政収支を赤字にできる。しかし現状では、債務残高の水準は高すぎ持続不可能で、引き下げなければならない」と述べています。

 

「金利水準は将来にわたり極めて低いと見込まれる」から、「財政出動による経済刺激効果は極めて大きいと期待できる」と考えるのか、あるいは「債務残高の水準は高すぎ持続不可能」で「ケインズ的な需要喚起策により経済成長率が高まることは不況下、特に失業率の高い状況から抜け出す時にはありうる。しかし現下の日本経済はほぼ完全雇用であり、需要喚起策が出る余地がない。また中長期的な経済成長には、ケインズ的需要喚起策は有効ではない」(植田氏)と考えるのかという対立です。

 

 ブランシャール氏は、PB赤字2.5%前後でも国債GDP比は維持できると主張します。星氏と植田氏は前述の通り、維持不可能と主張します。どちらが正しいのでしょうか。

 

◎金利を低位安定させられるのか

 

 ケインズ的需要喚起策の有効性についてはさておき、利子率をゼロ金利に近い水準で低位安定させることができるのでしょうか。ブランシャール氏は、財政出動にともなう需要増加によってインフレ率が上昇するものの、金利の上昇は抑制できるとしています。その根拠として、「政府は長期の国債を発行し、長期の資金調達を現在のゼロに近い金利で固定することでリスクを大幅に削減できる」としています。このようなことが本当に実現可能なのか。

 

 ブランシャール氏の論文は、日銀に金利ゼロの超長期債(あるいは永久債)を購入させてしまえばいいということが暗黙の前提として置かれています。星、植田氏が懸念する財政の危機・破たんや、そうした事態になったときに国債の信用(将来的なクラッシュ、暴落)というものがどうなるのかという点については一切触れようとしていません。

 

 別の言い方をすれば、「日銀の国債保有の凍結と拡大」の主張ということになります。ここで議論は二つに分かれます。永久保有は可能だという考え方と不可能だという見方です。将来、確実にやってくる日本の貯蓄率の低下と、経常収支の赤字が常態化したときに、日銀はGDPの半分、いやそれ以上の国債を保有できるのかということです。

 

 様々な識者に聞くと、そんな先のことはわからないという答えが返ってきます。無責任ではないかと思いますが、おそらく誰も先のことは考えていない、あるいは考えたくないという雰囲気なのです。ここにマクロ政策を担当する当局のスキが生じています。財政と金融政策の一体的運用は2013年の政府の約束です。事の是非、議論の正否は置いて、財政赤字拡大論が公然と議論されているのは、この連携が緩んでいるためではないでしょうか。

 

 さて、仮に長期金利がコントロールできたとしても、財政出動にともなうインフレが高進したときに、短期金利でインフレを抑制できるのか。超逆イールドの世界、例えば10年国債金利がゼロで、1年ものが10%という世界を理解することができません。長期金利の消失です。ここまで想像していくともはやファンタジーです。

 

◎アベノミクスの証明

 

 少し頭を冷やして、話を戻します。冷静に観察すれば、アベノミクス=日銀の異次元緩和で証明された事実があります。それは、長期金利はコントロールできたということです。それ以前は、長期金利はコントロールできないとされていました。

 

 完全に証明されたといえるかどうか、さらに長期的なスパンで見なければ検証できませんが、すでに日銀の国債購入目標額を下回る購入水準でも、長期金利はコントロールできています。市場を完全に丸ごと抱えなくともコントロールできているという事実は重い事実です。ここでは半分検証されたと言っておきたいと思います。

 

 アベノミクスがもう一つ証明しなければならないテーマがあります。それは長期金利の低金利の維持と財政赤字の拡大によって実質GDPが伸びたかどうかということです。低水準ながら名目はなんとか伸びていますが、実質GDPは平均すれば1%前後というところです。日本の潜在GDPの水準がどこにあるのかわかりませんが、もし1%ということであれば、アベノミクスは日本経済を上向かせる力とはなっていなかったことになります。これはまだ証明されていません。

 

◎建設・赤字国債の色分けは時代遅れ

 

 財政危機はわきに置きますが、財政赤字拡大容認論には、傾聴すべき点があります。少子化のひとつの要因となっている育児、教育への財政投入という政策です。この政策には長期的なリターンがあるという指摘です。ここからひとつのヒントが生れます。

 

 建設国債、赤字国債という概念はもはや古臭くなっています。かつて道路作り、そのリターンがある財政・公共投資の原資を建設国債と名付けたのは理解できますが、教育投資も実は実態は長期的にみれば立派な投資です。

 

 そのリターンは税金という形で戻ってきます。社会保障分野の年金も消費に回るだけという考え方だけでは、理解が足りません。消費にともなう民間設備投資を誘引しています。その波及効果ははかり知れません。さらに健康保険も医療の質の向上に資しています。これも長期的にみれば日本の生産性の向上に資しているわけです。このあたりの分析は財務省をはじめ内閣府が詳細に分析しています。

 

 言いたいことは、社会保障への国債による充てんは、赤字国債という色分けは古すぎるのです。このコラムの趣旨からはそれますが、国債の色分けは再考すべきです。建設国債は償還される可能性が高いという色分けは幻想だからです。

 

*参照記事

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO50597290U9A001C1KE8000/

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO50695290X01C19A0KE8000/

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO50740780Y9A001C1KE8000/