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日銀新総裁選出劇―総裁空席を回避した雨宮氏の用意周到

次期日銀総裁・副総裁人事が国会で承認される見込みとなり、日銀は4月から植田和男総裁(共立大学教授)、内田眞一副総裁(日銀理事)、氷見野良三副総裁(元金融庁長官)という新執行部体制とへと移行する。アベノミクスの象徴であった黒田総裁の異次元の金融緩和政策を受け継ぐだけに総裁就任の条件は厳しく、候補者選定は本命不在のまま越年。1月末に内示案が出るという難産であった。選任までの経緯と新体制の課題について官邸、財務省、日銀筋の情報を取りまとめてみた。(主要新聞メディアの既報分はなるべく省略した。また、2次情報に基づく情報が多いが、信頼できるリソースに基づいている)

 

 

〇始動―安倍元首相の遺訓

 

 日銀総裁人事は昨年の春から始まっていました。あるリフレ派のエコノミストが安倍氏に「次期総裁、絶対に日銀出身ではだめです」と進言し、安倍氏も「そうか、わかった」と応えたそうです。安部氏はその方針を自民党の最大派閥である清和会・安倍派の主要幹部である世耕弘成議員(自民党参院幹事長)に伝えました。昨年の7月に安倍氏が亡くなった後、世耕氏は「アベノミクスの継承という遺訓として受け止めていた」(永田町関係者)ようです。もちろん、派閥の求心力の確保という思惑です。遺訓というのはやや強すぎる印象がありますが、政治のなかで派閥の運営とはそうした心理が強く働くものだと思います。

 

 昨年の7月に安倍氏が亡くなった直後の日銀審議委員の選出のときにこの遺訓が働きます。リフレ派ではない高田創審議委員に対し自民党内の意見が割れ、党としての方針が決まらなかったのは、このためでした。清和会は安倍派という名称を使っています。亡くなった安倍氏の名前を使い続けざるを得ない派閥の台所事情があるからにほかなりません。安倍派は集団指導体制といえば聞こえはよいものの、いまもトップ不在の派閥です。それだけに安倍派の象徴であるアベノミクスへの批判には敏感になっています。

 

 高田氏の件の後も岸田首相は世耕氏と断続的に面談していますが、それだけ参議院議員を多く抱える清和会・安倍派とのコンタクトに細心の注意を払っていました。自民党は総裁・副総裁・幹事長の3者会談で重要事項を決定しますが、「世耕氏を外していないというメッセージを送ることが党運営の必須事項となっている」(同)とのこと。ちなみに清和会・安倍派は衆議院議員59人、参議員議員39人で衆参ともに最大のグループです。

 

 ただ、日銀関係者のなかでアベノミクスシンパの総裁候補者はなかなかいません。黒田体制を支えてきた雨宮副総裁か、黒田総裁の前半の5年間、副総裁であった中曽氏の二人くらいしか残っていません。あとはアンチアベノミクス色の強い山口元副総裁。

 

 一方、これまで日銀総裁を輩出してきた財務省OBはどうか。「今回は日銀。主計畑出身の大物はだれも出せない」(OB)ということで、人事案は膠着します(膠着したと思われます。あるメディアによれば従来から慣行となっていた財務省からの候補者リスト作りは、昨年の夏の時点でも行われていたとのことですので、準備は進められていました)。

 

〇自民党内の空気

 

 昨年の秋の時点での自民党内の雰囲気(相当曖昧なので恐縮です)は、岸田首相の宏池会の林、宮沢議員などは「日銀出身者でいい」というスタンス。山口氏についても財務省の丹呉氏(元次官)などからの推薦もあり支持していたようです。

 

 清和会・安倍派は世耕氏のように安倍氏に傾倒している議員と萩生田光一氏のように財政規律を重視する常識的な議員が混在しており、「雨宮でも山口でもいいという空気だった」ため、事実上、人事案は空案でした。昨年末に清和会の御用新聞である産経新聞が「次期総裁山口説」を流したのも派閥としての分裂していることの表れだったとみることができます。

 

 岸田首相も清和会・安倍派の不統一を見越していたと思いますが、総裁人事案が万一、政局化することに細心の注意を払っていたはずです。結果的には内田氏を副総裁に据えるということで折り合ったのではないかと推察します。

 

 話がそれて恐縮ですが、政局化の原因はもちろん、安倍氏が不在ということに起因しています。次の選挙のときの顔がないわけですから、派閥としての体をなしません。ほかの派閥からの引き抜きによる草刈場となる可能性が極めて大きい不安定な状態にあります。

 

 加えて、仮に二階俊博氏が引退すれば、二階派も草刈場となります。世耕氏の選挙区は二階氏と同じ和歌山ですが、参院から衆院に鞍替えすれば、自民党内の勢力図が大きく変わってきます。そうした引き金にはしないということです(このあたりの分析は政治記者の得意分野ですのでこれ以上は触れません)。

 

 さて、話をもどし。麻生派はどうか。麻生派は財務省に近い麻生氏だけでなく、鈴木財務大臣を抱えています。「山口でもいい、反対はしない」(官邸筋)というスタンスでした。茂木幹事長も同じスタンスだったようです。

 

 各派閥とも確たる推薦者は不在でした。党内は、総じて「日銀とのアコードがある以上、とくに日銀出身者を否定する空気はなかった」。加えて、「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」、通称アベノミクス議連(発起人は、山本幸三議員=アベノミクスの事実上の生みの親)も解散しており、アベノミクスに対する温度が急低下していることも見逃せない空気だったと思われます。

 

〇雨宮副総裁の用意周到

 

 官邸サイドの候補者は秋の段階で先の日銀出身者3人に絞られたとみていいと思います。ただ、中曽氏は昨年の早い段階から辞退の旨を政府側に伝えており、すでに総裁に就任できないようなポストに就いています。山口氏はこのコラムにも書きましたが、最適任かと思いますが、政局化する恐れがあります。そして雨宮氏も事情は同じことです。

 

 日銀は次期総裁人事に1票の投票権があるといいます。当然のことです。その投票権を行使するのは、黒田総裁ではなく、日銀プロパーの雨宮副総裁しかいません。雨宮氏にしてみれば、岸田政権となり、さらに清和会・安倍派の勢力の衰えから自民党からの強いバックアップが期待できない状況で、進退窮まったのではないかと推察します。

 

 雨宮氏は、昨年の秋に「総裁辞退の意向を官邸・自民党に伝えた」(雨宮氏と親しい日銀OB)とのことです。理由は、4つほど。順不同ですが、ひとつは日銀役員の内規定年(70歳)への抵触と日銀役員の若返りの必要性、そして、金融政策の財政政策への同調に対する不安、そして「企画畑20年間続けてきたため、客観的に中立の立場から自分の判断が正しかったのかという評価ができない。このまま総裁になれば、なんら反省なく仕事を続けることになる」という極めてまっとうな理由だったそうです。

 

 雨宮氏の辞退は総裁候補が空席となることを意味しています。そこで自身の辞退の代案として提示したのが学者の起用でした。伊藤隆敏、渡辺努、植田和男氏の3名の名前が出ていました。実は学者案というのは、突然出てきたわけではなく、どうも事前工作が行われていた節があります。植田氏が2022年7月6日の日経新聞の「経済教室」に「日本、拙速な引き締め避けよ」を寄稿していますが、この内容は理論に走らず、実務的な内容を含んでおり、2月10日に人事案が公表された後の自民党の議員にも受けが良かったものです。どちらかといえば政治家向けのトーンなので、雨宮氏が誘導した可能性があります(あくまで推測です)。

 

 ともあれ、雨宮氏の辞退の意思は固かったのですが、それを官邸がどうも読み間違えた節があります。雨宮氏に接触していたK副官房長官がS秘書官に総理が要請すれば断れないという感触を伝えた可能性があります。いずれにせよ最後に雨宮氏は自身の私的な事情を持ち出して辞退の意向を再度伝え、官邸もついに雨宮副総裁を断念します。これが1月下旬ころです。

 

 また雨宮氏は自分の後任として内田理事、もしくは加藤理事の副総裁昇格案も官邸に伝えています。したがって、雨宮氏の人事構想はほぼ実現したといってもいいのではないでしょうか。

 

 なお余談ですが、日経新聞が2月6日に「日銀総裁、雨宮氏に打診」と記事を掲載しました。このときはすでに事実上、植田氏で決着していました。誤報といえは誤報でした。ただ、あるメディア筋によりますと、日経は当初、「雨宮総裁、氷見野副総裁」で打つ予定だったと聞いていますので、そのまま掲載すれば半分は当たっていたはずです。氷見野氏については後でも触れますが、武藤氏(元財務次官・日銀副総裁)→麻生氏の推薦だったようで、どうやら日経は麻生派のラインからソースを得たものと思われます。

 

 余談をもう一つ。「辞退」は許されるものなのかということです。答えはイエスです。日銀の役員は国会の同意を経て内閣が任命します。役員以下の局長・職員については、総裁に任命権があり、単純には拒否できません。雨宮氏が日銀プロパーであるため、打診されれば受けざるを得ないのではないかという見方もあるでしょうが、違います。あくまで本人の意思です。通常は首相からの打診の前に調整されます。

 

〇総裁の安い報酬

 

 日銀総裁は重責を担います。先の植田和男氏の国会での所信表明の際にも、複数の議員から「こんな大変なときによく引き受けていただきました」と声をかけられています。特に今回の就任は日銀、財務省だけでなく国会議員も大変だと認識しています。ならば、なるべく就任しやすい環境を作る必要があります。

 

 ひとつは報酬の問題です。総裁が3500万円、副総裁は2700万円です。手取りはわかりませんが、相当すくないはずです。もちろん、兼職も不可です。これでは国家公務員・日銀を退職した幹部の方が再就職した先の報酬を下回ってしまいます。

 

 アメリカのFRBのパウエル議長の年収は20万ドル。今の為替レートで2600万円です。ただ、物価の水準が違いすぎますから、あまり比較にはなりません。それに議長は就任まえに投資銀行などで十分、報酬を得ています。

 

 ひと昔、FRBのプロパー出身のボルカー議長の年収が800万円(就任当初は4万ドル台で8万ドルへ)。病気の子供を抱えてその治療費もかかるという状況でした。安い葉巻をいつも銜えている姿が印象に残っています。ただ、退任後の講演会での報酬は1回、1000万円を超えるものがならんでいました。後で優遇されるのです。これならば納得できます。

 

 日本もせめてメガバンクの頭取クラスの報酬があって然るべきでしょう。麻生氏と茂木幹事長の推薦したM氏が難色をしめした理由にこの報酬問題もあったと聞いております。

 

〇永田町対策が課題に

 

 新執行部のテーマは金融政策の正常化であることは間違いありません。金融政策のプロセスについては、多くの方策があります。ここでは省略しますが、先の国会での植田氏の答弁でほぼニュアンスはでていたように思います。

 

 植田氏の国会答弁で気になったことに触れておきます。それは財政規律についてのコメントです。日銀の国債大量購入に関し、財政ファンナンスではないかと問われ、「インフレ目標2%がその歯止めとなる」と発言されたことです。これには二重におどろきました。

 

 まず、物価が2%になったら(あるいは基調的に2%になったと判断したときに)国債購入を減らしていくということです。こうした考え方はいままで明らかにされていません。政府はびっくりしたはずです。冷静に考えれば、物価が2%になれば、長期国債金利はそれ以上になり、発行が抑制的になることが想定されます。・・にしてもです。

 

 それと植田氏はそもそもインフレターゲットについては否定的でした(学者として)。それが逆利用しようとするのですから、驚きです。

 

 最後に新体制について気になった点を。それは「永田町と対話ができるかどうか」(財務省OB)という点です。そもそも植田氏は学者ですので永田町とは接点がありません。加えて「口が重い方」(日銀OB)です。答弁をお聞きになってお分かりのように語尾が曖昧になります。雨宮氏のように切れのある語りではありません。霞が関の役人の得意技は議員に対する素早い説明です。場合によっては、議員の選挙区と同じ出身であれば方言も使います。

 

 内田氏も「永田町ではまだ名前が浸透していません」(日銀OB)。異次元緩和の事実上のモデル設計者であり、それゆえ企画担当理事から副総裁に推薦されたといわれております。勿論、清和会・安倍派に配慮したものでしょう。内田氏は雨宮氏とおなじようにほぼ企画局畑一筋のキャリアです。しかも若くして企画局長に抜擢されています。したがって国会議員が関心をもつ地域金融機関のプルーデンス問題を説明する機会が少なかったのではないかと思われます。

 

 加えて、氷見野氏も金融庁長官になったとき、永田町ではヒミノ・フー?でした。今回のウエダ・フー?に加えてのことですから、永田町対策は要注意です。この後の永田町向け体制つくりが注目されます。


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