財務省と金融庁は7月5日付で幹部の定期異動を行った。金融庁の栗田長官、財務省の茶谷事務次官とも1年で勇退し、次期長官に井藤英樹氏(63年)、次期財務次官に新川浩嗣氏(62年)が任命された。財務省は局長以上の幹部の退職者が比較的多く、内閣官房との入れ替え人事も目立ち人事異動が大幅なものとなったが、金融庁は栗田長官のみの退職ということから留任人事が目立つ結果となった。
<金融庁>
◎栗田長官が1年で退任、後任に井藤氏
今年は栗田照久長官(62年)の留任か伊藤豊監督局長(元年)の昇格とみていましたので、井藤英樹企画市場局長(63年)の長官就任は驚きでした。ゴールデンウィーク前の4月に井藤氏の長官説が流れ、まさかと思いましたが、本当でした。
2年前に井藤氏の長官説が流れました。2022年、政府が「成長と分配の好循環」「新しい資本主義」というキャンペーンを打ち出しましたが、これを起案したのが新原内閣官房審議官です。金融庁が持ち込んだ「資産倍増計画」と「資産運用立国」プランは、この路線に沿ったものでした。A4数ページのペーパーを持って行ったのが当時企画市場局長であった井藤氏でした。
ご存じのように新原氏は安倍総理と菅総理に可愛がられた総理ブレーンの一人です。マクロ政策の立案、骨太の方針を書いているのも新原氏です。彼に採用されたペーパーは政府の方針となり、その論功、功績は井藤氏に授けられたということです。そこが発火点。長官説が生まれたと聞いております。
論功説が正しいのかどうかはわかりません。官邸関係者によれば、確かに内閣人事局が評価したのは事実だと思われますが、むしろ「人事局は入省年次を考慮して淡々と人事案を作った」(MOF関係者)という見方もあります。栗生人事局長の生真面目なスタンスを反映しているとのことです。
たしかに幹部の評価が数枚のペーパーで決まるわけはないのです。それまでの人事評価、とりわけ現職金融庁長官の人物評価が決め手になります。栗田長官が金融庁の幹部の年次を考慮して、1年、下の年次から順繰りで後任を選んだという“解説”のほうが真実に近いと思われます。
栗田長官の退官で、今後「長官は1年」ということが定着する可能性があります。これまでも氷見野氏、細溝氏が1年で長官を勇退していますが、金融庁(金融監督庁)が発足して25年の間にたった二人ということで例外的でした。複数年が常識化していましたが、幹部の定年が近くなり、ほかの省庁と同じようにトップ(次官クラス)は1年で交代せざるを得なくなっています。
なお、金融庁の長官の役職定年は異例の65歳となっています(ほかの省庁はほとんどが62歳)。組織発足時に年次の高い長官が起用されたためです。国家公務員の定年年齢の引き上げが昨年の4月から実施され、60歳定年から61歳定年となっています。今後、2年間で1年ずつ定年が引き上げられていきます。いずれ65歳となります。これにともなって役職定年の引き上げも必要になるでしょう。事実上ナンバー2の監督局長と長官の年齢の乖離が大きくなれば、人事全体の阻害要因になるからです。
栗田長官の実績として記しておかなければならないのは、ビッグモーター事件に端を発した損保談合に対する行政処分でしょう。中小地銀への公的資金に追加出資も批判はありますが、「決断」だと思います。農中の有価証券運用の失敗についての第1義的な監督責任は農水省にあります。通常であれば、トップの責任追及は免れないところですが、これも長官の決断があったと思われます。もうひとつ追加すれば、あおぞら銀行への大和証券の出資も大きな判断です。あおぞら銀行への公的資金注入も考えられるところ、大和証券を引き出したのは、行政の力が働いたとしか思えません(この事実関係は不明です。推測に過ぎません)。
井藤新長官のテーマは多すぎて困りますが、ひとつ挙げるとすれば金融界の耐久性の維持。マクロプルーデンスへの取り組みではないでしょうか(これは栗田長官以前からのテーマではありますが)。長期にわたった低金利環境によって、銀行の利ザヤは極限まで低下しました。いくら資本が厚いといっても、この状況では取引先のリスクを吸収することができないでしょう。金利があれば倒産リスクをカバーできますが、いかんせん、超低金利が長引きすぎました。地方経済のリスクバッファである地域金融機関がどの程度、耐久力があるのか。
◎日銀出身の局長の誕生
屋敷利紀氏(元年・日銀)の総合政策局長への昇格にも驚きはありましたが、同時に納得感もあります。これまでモニタリング畑一筋ですから、総合政策局長はもっともふさわしいポストでしょう。総合政策局長というポストの職務権限・所掌について金融庁は当初、“官房長ポスト”にするということを目論でいました。しかし、事実上の親元である財務省や内閣官房人事局からの反対により、実質的に“検査局長”となっています。検査局を廃止したものの結果として名前を変えただけという感じです。この検査マニュアルがない“検査局”をどう動かしていくか、屋敷氏の豊富なキャリアがものを言いそうです。
屋敷氏は日銀出身です。これまでも金融庁との間をなんども行ったり来たりで、最終的に金融庁に転籍されました。日銀出身者の局長誕生には、財務省筋からの異論もあったようですが、淡々と押し切った感じがあります。屋敷氏の転籍については、日銀の雨宮元副総裁と森元長官との間で「将来、局長として処遇する」という約束があり、これが実行されたということです。画期的な人事といえるのではないでしょうか。一度、民間にでて金融庁に戻ってきた堀本政策立案総括審議官の処遇にも影響があるかもしれません。
油布氏の市場企画局長は当然の異動と受け止められています。昨年の異動も考えられたところです。しかし、井藤氏が留任したために伸びていたということでしょう。石田総括審議官は事実上の官房長を引き続き担い、来年、監督局長というコースを辿るのではないかとみられています。
◎来年の長官人事
間違いなく伊藤監督局長(元年)の昇格かと思います。その次は石田総括審議官(2年)です。平成3年の候補者は「まだ絞り切れていない」(MOFOB)とのことなので、ここでは不明としておきます。もしかすると2年組で二人起用、あるいは伊藤氏が2年ということで調整するかもしれません。平成4年は、キャリアから言えば、柳瀬護総合政策局審議官(モニタリング担当)です。今年、総括審議官になるとみていました。
<財務省>
◎順当人事とサプライズ人事
下記の表のように茶谷次官から新川次官へのバトンタッチなど、局長クラスの異動はほぼ想定内でした。順当人事です。少しだけ岸田内閣の改造を匂わせている面もあります。ただ、多少のサプライズもありました。
一つは、国税庁長官人事です。住澤氏(63年)は留任かとみていましたが、2年の奥理財局長が昇格しました。年次が元年とひとつ上の青木孝德主税局長は来年に長官かと思いますが、奥氏と順番が逆になった感があります。
二つめは関税局長ポスト。高村氏は内閣官房内閣審議官(国家安全保障局)から本省に戻りました。その前はADB(アジア開発銀行)、国際局の地域協力課長ですので、キャリアからすると意外感がありました。もっとも、関税局長は、安全保障や国際局長と仕事が似ている面がありますので、なるほどと。
3つ目は、江島一彦(2年)関税局長の内閣官房TPP担当です。てっきり国税庁長官コースかと思っておりました。以前に同じコースの人事がありましたので大きなサプライズではありませんが、アメリカの大統領選やほかの内政外政に配慮した感があります。
4つ目は、窪田(63年)内閣官房内閣人事局人事政策統括官の理財局長人事。よく本省に戻した感があります。金融危機のときに日債銀の頭取になった窪田元長官のご子息です。裁判を含め非常に苦労された元頭取の顔が浮かんできました。
なお、財務省が復興庁事務次官のポストを失った点が気になるところです。角田事務次官の後任が出ていません。東北大震災にも区切りがついたということになるのでしょうか。
金融庁、財務省は7月4日、定例の幹部の人事異動を行った。金融庁長官は栗田照久氏(総合政策局長・昭和62年入省)が順当に昇格した。ただ、局長クラスの異動は限定的であり、審議官の異動も少ない静かな人事となった。同様に、財務省も茶谷栄治次官(61年)が留任したため、主に主計局の異動が少なく、また、ほぼ事前に想定された人事となった。同期入省組による同一ポストの使い回しもあり、全体的に停滞感のある人事となった。
<金融庁>
◎金融庁新長官に栗田氏
いまから5年前、2018年の定例人事異動。当時の森長官が退官し、遠藤氏にバトンタッチしたときに、森長官が栗田氏を監督局審議官から監督局長に大抜擢してあっと言わせました。誰も予想していない人事でした。当時、私も金融庁の役所の中にいましたが、情報が駆け巡ったとき、職員の方々が一瞬、表情をこわばらせたのを鮮明に覚えております。意外を通り越した人事でした。
遠藤長官とは栗田氏との間には5年の年次差があり、その間に将来の金融庁長官の有力候補となる監督局長候補者が何人もいました。そのとき、森長官は国家への貢献・実績を評価した実力に見合った人事だと語っていました。年次ではなく、実力で人事を決めるという森長官の思い切った方針でした。森長官と事実上の内閣人事局長であった菅官房長官との太いパイプなくして実現できない人事でした(栗田氏は京都大学卒です。東大閥が幹部を寡占するなかでは異色だったのです)。もしかすると森長官は遠藤長官の後に栗田氏を考えていたのかもしれません。
しかし、実際にはそうならず、人事繰りに窮した金融庁は、栗田監督局長を4年間も続投させることになりました。そして昨年、筆頭局の総合政策局長となり、ようやく晴れて長官です。
栗田長官に対する金融界の評価は、「控えめで話を聞いてくれる」「すぐに動いてくれる」というものです。金融庁(金融監督庁を含め)のなかで、金融行政21年間という史上最長のキャリアの持ち主です。過去の大蔵省・財務省時代の金融行政担当(銀行局・証券局)を含めてことです。自然と金融界に顔が広くなるのは当然といえば当然。歴代長官のなかで金融界に最も知られた長官と言えるのではないでしょうか。
新長官の最優先課題となるのは、予想される金利上昇にともなうプルーデンス問題でしょう。同時に資産バブルの処理という課題も追いかけてきます。
前長官の中島氏は2年の在任。歴代長官は2年から3年というパターンで異動がありましたが、栗田氏の在任期間は1年間ではないかとみております。これまでの金融庁は役所として若いという事情があり、局長も同様に長期在任が目立っていました。
しかし、組織として成熟してきたため、長官(次官)の任期もほかの省庁と同じように1年サイクルとなる可能性があります。次第に下の年次が迫ってきたのです。また、早期に退任する方が少なく天井が低くなったという事情もあります。局長のサイクルも短くなるか、同期回しが増える可能性があります。
栗田氏は1年。次の長官と目される伊藤豊監督局長(平成元年)も1年、その次の石田晋也総括審議官(2年)も1年ということになりそうです。
◎監督局長の留任
今年の局長クラス人事での少し驚いたのは、伊藤監督局長の留任と油布志行証券監視員会事務局長(元年)の総合政策局長への異動です。総合政策局長には伊藤監督局長が回るのではないかと見られていましたので、意外でした。この人事には当然、内閣人事局の意向が反映されているはずです。
古い話ですが、伊藤局長が2020年にあるインサイダー事件に関与した人物と会食して高額のワインを受け取ったという疑念があるというネット記事が昨年、流れました。金融庁は処分しておりませんので、事実関係は否定されています(なお、金融庁の内規で指導を受けた可能性もありますが、これは非公表です)。しかし、どうも栗生官房副長官(内閣人事局長)が難色を示したのではないかという憶測が流れていました。栗生氏は「事実ではなく、メディアの社会面に掲載されたというだけでネガティブな判断をする人」(霞が関)というもっぱらの評判です。まあ、1年間、ほとぼりが冷めるのを待つということだと思います。
油布氏は、SMBC日興證券の処分、地銀と子証券会社の仕組み債販売の処分で実績を挙げています。とくに後者は金商法の適合性原則を適用するもので、証明の難しさから、これまで金融庁がなかなか決断出来ずにいた案件でした。これを中島長官が評価したものと思われます。これまでも事務局長から総合政策局長への異動は普通にありますので違和感はありません。ただ、キャリアからみて企画市場局長に回るのではないかと見ておりました。
また、油布氏の後任局長には、平成3年入省の井上俊剛総合政策局審議官(開示)が抜擢されました。この背景には「PBR1倍」の推進があったのではないかといわれております(確証はありません)。日本の株価をここまで押し上げたきっかけとなったことは間違いなく、官邸が評価したということです。ということでデコボコの力学が働いた結果が今回の入れ替え人事となったとの見方があります。もちろん真相は不明です。
なお、総合政策局長は、職制上、官房とモニタリング(検査)を所掌しますが、実際の業務としては後者にウェートがかかっています。したがって、油布氏の仕事も証券監視委員会の延長線上にあるともいえそうです。官房機能はもっぱら石田総括審議官が引き続き担います。
◎企画市場局の主要課長が金融庁キャリアのポストに
企画市場局は、国会提出した金商法改正(金融経済教育推進機構の創設・四半期報告書の廃止など)が時間切れとなったため、担当の井藤英樹(63年)局長が留任しました。仮に法案が成立したとしても井藤局長留任の線もあったと思われます(ここは油布局長との選択です)。岸田総理の「資産所得の倍増」という大スローガンを起案したのが井藤局長といわれ、官邸の評価が高かったためです。
今年、企画市場局のライン課長が財務省出身キャリアから金融庁採用キャリアになるという事態となりました。新しい動きです。企画局の主要課長である企業開示課長に野崎彰(12年)氏、市場課長に齊藤将彦(12年)氏が就任しました。
開示課長は、行政の対象となる業者が上場の大企業であるため非常の多くの企業との接触が求められます。そこには当然、職権としての行政裁量が働くため金融庁でもっとも権限があるポストと言われています。抜擢です。前任者が廣川斉氏(8年)ですから、年次としても4年若返ったことになります。
また市場課長も、「国内の金融商品市場その他の金融市場に関する制度の企画・立案」という局の中枢ミッションを担います。抜擢です。こちらも前任者は島崎征夫氏(7年)ですから5年の若返りということになります。留任が多い中でこのお二人の昇格人事は目立っています。
金融庁採用のキャリアは、三浦知宏(11年)監督局保険課長、八木瑞枝(11年)監督局証券課長とライン課長に就任しておりますので、今回の人事で合計4つのライン課長ポストを占めることになりました。
今後、財務省のキャリアがこれらのポストに就くことは考えにくく、むしろ金融庁キャリアの課長ポストが増えていくものと思われます。将来的には局長ポストも金融庁キャリアが占めることが想定されます。最終的には金融庁長官も金融庁キャリアが任命されるでしょう(多分)。
国税庁のように財務省の外局であれば、特定の重要ポストを財務省出身者が占めることができますが、金融庁は制度上、財務省とは無関係の独立した組織ですので、次第に金融庁採用の職員によって構成されていくでしょう。財政と金融の分離が金融庁(金融監督庁)発足時のスローガンでしたが、着実に人事によって実現されつつあるといえます。
長銀が破綻したとき、大蔵省と金融監督庁(大蔵省出身者)との間で、国有化の形・方法について激烈なバトルがあり、意見は二分しました。このときは金融監督庁側の言い分が通りました。しかし、結果論ですが公的資金の注入額が大きくなりました。
今後、こうした金融破綻が発生したときに独立した金融庁がどこまで主導権を取ることが出来るのか。そのとき財政・金融の分離の歴史的評価が定まってくるのではないでしょうか。今後、強い権限をもつ財務省との関係をどのように維持していくのか、さらに悩ましくなるはずです。
なお、付け足しのようで恐縮ですが、天谷知子(61年)金融国際審議官が退任したため、金融庁の女性の最高幹部が不在となりました。当分、女性不在が続く見通しです。
<財務省>
◎茶谷次官の留任
このコラムの読者は金融関係者が多いと思いますので、財務省の人事については、ごく簡単に紹介したいと思います。茶谷次官の留任は、防衛予算と少子化対策の財源問題が積み残しとなっているためです。兆円単位の財源が見えない状況では、次官も主計局長も留任せざるを得ないでしょう。両方とも長期の政策であり、赤字国債で賄えるものではありません。また、一時の財源対策では対応できません。へたをするとイギリスのトラス首相のように国債市場を混乱させ、一ヶ月で首相退任といった事態になる可能性があります。
もうひとつは、青木孝徳(元年)官房長の主税局長就任です。官房長の前職は主税局審議官でしたが、主税局では課長経験がありません。課長を経験せずに主税局長となったケースはこれまで数人しかいません。それだけ実務に精通していることが求められているポストかと思います。
青木氏以外に選択があるかと問われれば難しく、本来ならば税のプロの小野氏が適任だったのですが・・仕方のないことでした。
(表は名字のみ。62と63は昭和。それ以外は平成入省年次。FSAは金融庁採用)
|
次期日銀総裁・副総裁人事が国会で承認される見込みとなり、日銀は4月から植田和男総裁(共立大学教授)、内田眞一副総裁(日銀理事)、氷見野良三副総裁(元金融庁長官)という新執行部体制とへと移行する。アベノミクスの象徴であった黒田総裁の異次元の金融緩和政策を受け継ぐだけに総裁就任の条件は厳しく、候補者選定は本命不在のまま越年。1月末に内示案が出るという難産であった。選任までの経緯と新体制の課題について官邸、財務省、日銀筋の情報を取りまとめてみた。(主要新聞メディアの既報分はなるべく省略した。また、2次情報に基づく情報が多いが、信頼できるリソースに基づいている)
〇始動―安倍元首相の遺訓
日銀総裁人事は昨年の春から始まっていました。あるリフレ派のエコノミストが安倍氏に「次期総裁、絶対に日銀出身ではだめです」と進言し、安倍氏も「そうか、わかった」と応えたそうです。安部氏はその方針を自民党の最大派閥である清和会・安倍派の主要幹部である世耕弘成議員(自民党参院幹事長)に伝えました。昨年の7月に安倍氏が亡くなった後、世耕氏は「アベノミクスの継承という遺訓として受け止めていた」(永田町関係者)ようです。もちろん、派閥の求心力の確保という思惑です。遺訓というのはやや強すぎる印象がありますが、政治のなかで派閥の運営とはそうした心理が強く働くものだと思います。
昨年の7月に安倍氏が亡くなった直後の日銀審議委員の選出のときにこの遺訓が働きます。リフレ派ではない高田創審議委員に対し自民党内の意見が割れ、党としての方針が決まらなかったのは、このためでした。清和会は安倍派という名称を使っています。亡くなった安倍氏の名前を使い続けざるを得ない派閥の台所事情があるからにほかなりません。安倍派は集団指導体制といえば聞こえはよいものの、いまもトップ不在の派閥です。それだけに安倍派の象徴であるアベノミクスへの批判には敏感になっています。
高田氏の件の後も岸田首相は世耕氏と断続的に面談していますが、それだけ参議院議員を多く抱える清和会・安倍派とのコンタクトに細心の注意を払っていました。自民党は総裁・副総裁・幹事長の3者会談で重要事項を決定しますが、「世耕氏を外していないというメッセージを送ることが党運営の必須事項となっている」(同)とのこと。ちなみに清和会・安倍派は衆議院議員59人、参議員議員39人で衆参ともに最大のグループです。
ただ、日銀関係者のなかでアベノミクスシンパの総裁候補者はなかなかいません。黒田体制を支えてきた雨宮副総裁か、黒田総裁の前半の5年間、副総裁であった中曽氏の二人くらいしか残っていません。あとはアンチアベノミクス色の強い山口元副総裁。
一方、これまで日銀総裁を輩出してきた財務省OBはどうか。「今回は日銀。主計畑出身の大物はだれも出せない」(OB)ということで、人事案は膠着します(膠着したと思われます。あるメディアによれば従来から慣行となっていた財務省からの候補者リスト作りは、昨年の夏の時点でも行われていたとのことですので、準備は進められていました)。
〇自民党内の空気
昨年の秋の時点での自民党内の雰囲気(相当曖昧なので恐縮です)は、岸田首相の宏池会の林、宮沢議員などは「日銀出身者でいい」というスタンス。山口氏についても財務省の丹呉氏(元次官)などからの推薦もあり支持していたようです。
清和会・安倍派は世耕氏のように安倍氏に傾倒している議員と萩生田光一氏のように財政規律を重視する常識的な議員が混在しており、「雨宮でも山口でもいいという空気だった」ため、事実上、人事案は空案でした。昨年末に清和会の御用新聞である産経新聞が「次期総裁山口説」を流したのも派閥としての分裂していることの表れだったとみることができます。
岸田首相も清和会・安倍派の不統一を見越していたと思いますが、総裁人事案が万一、政局化することに細心の注意を払っていたはずです。結果的には内田氏を副総裁に据えるということで折り合ったのではないかと推察します。
話がそれて恐縮ですが、政局化の原因はもちろん、安倍氏が不在ということに起因しています。次の選挙のときの顔がないわけですから、派閥としての体をなしません。ほかの派閥からの引き抜きによる草刈場となる可能性が極めて大きい不安定な状態にあります。
加えて、仮に二階俊博氏が引退すれば、二階派も草刈場となります。世耕氏の選挙区は二階氏と同じ和歌山ですが、参院から衆院に鞍替えすれば、自民党内の勢力図が大きく変わってきます。そうした引き金にはしないということです(このあたりの分析は政治記者の得意分野ですのでこれ以上は触れません)。
さて、話をもどし。麻生派はどうか。麻生派は財務省に近い麻生氏だけでなく、鈴木財務大臣を抱えています。「山口でもいい、反対はしない」(官邸筋)というスタンスでした。茂木幹事長も同じスタンスだったようです。
各派閥とも確たる推薦者は不在でした。党内は、総じて「日銀とのアコードがある以上、とくに日銀出身者を否定する空気はなかった」。加えて、「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」、通称アベノミクス議連(発起人は、山本幸三議員=アベノミクスの事実上の生みの親)も解散しており、アベノミクスに対する温度が急低下していることも見逃せない空気だったと思われます。
〇雨宮副総裁の用意周到
官邸サイドの候補者は秋の段階で先の日銀出身者3人に絞られたとみていいと思います。ただ、中曽氏は昨年の早い段階から辞退の旨を政府側に伝えており、すでに総裁に就任できないようなポストに就いています。山口氏はこのコラムにも書きましたが、最適任かと思いますが、政局化する恐れがあります。そして雨宮氏も事情は同じことです。
日銀は次期総裁人事に1票の投票権があるといいます。当然のことです。その投票権を行使するのは、黒田総裁ではなく、日銀プロパーの雨宮副総裁しかいません。雨宮氏にしてみれば、岸田政権となり、さらに清和会・安倍派の勢力の衰えから自民党からの強いバックアップが期待できない状況で、進退窮まったのではないかと推察します。
雨宮氏は、昨年の秋に「総裁辞退の意向を官邸・自民党に伝えた」(雨宮氏と親しい日銀OB)とのことです。理由は、4つほど。順不同ですが、ひとつは日銀役員の内規定年(70歳)への抵触と日銀役員の若返りの必要性、そして、金融政策の財政政策への同調に対する不安、そして「企画畑20年間続けてきたため、客観的に中立の立場から自分の判断が正しかったのかという評価ができない。このまま総裁になれば、なんら反省なく仕事を続けることになる」という極めてまっとうな理由だったそうです。
雨宮氏の辞退は総裁候補が空席となることを意味しています。そこで自身の辞退の代案として提示したのが学者の起用でした。伊藤隆敏、渡辺努、植田和男氏の3名の名前が出ていました。実は学者案というのは、突然出てきたわけではなく、どうも事前工作が行われていた節があります。植田氏が2022年7月6日の日経新聞の「経済教室」に「日本、拙速な引き締め避けよ」を寄稿していますが、この内容は理論に走らず、実務的な内容を含んでおり、2月10日に人事案が公表された後の自民党の議員にも受けが良かったものです。どちらかといえば政治家向けのトーンなので、雨宮氏が誘導した可能性があります(あくまで推測です)。
ともあれ、雨宮氏の辞退の意思は固かったのですが、それを官邸がどうも読み間違えた節があります。雨宮氏に接触していたK副官房長官がS秘書官に総理が要請すれば断れないという感触を伝えた可能性があります。いずれにせよ最後に雨宮氏は自身の私的な事情を持ち出して辞退の意向を再度伝え、官邸もついに雨宮副総裁を断念します。これが1月下旬ころです。
また雨宮氏は自分の後任として内田理事、もしくは加藤理事の副総裁昇格案も官邸に伝えています。したがって、雨宮氏の人事構想はほぼ実現したといってもいいのではないでしょうか。
なお余談ですが、日経新聞が2月6日に「日銀総裁、雨宮氏に打診」と記事を掲載しました。このときはすでに事実上、植田氏で決着していました。誤報といえは誤報でした。ただ、あるメディア筋によりますと、日経は当初、「雨宮総裁、氷見野副総裁」で打つ予定だったと聞いていますので、そのまま掲載すれば半分は当たっていたはずです。氷見野氏については後でも触れますが、武藤氏(元財務次官・日銀副総裁)→麻生氏の推薦だったようで、どうやら日経は麻生派のラインからソースを得たものと思われます。
余談をもう一つ。「辞退」は許されるものなのかということです。答えはイエスです。日銀の役員は国会の同意を経て内閣が任命します。役員以下の局長・職員については、総裁に任命権があり、単純には拒否できません。雨宮氏が日銀プロパーであるため、打診されれば受けざるを得ないのではないかという見方もあるでしょうが、違います。あくまで本人の意思です。通常は首相からの打診の前に調整されます。
〇総裁の安い報酬
日銀総裁は重責を担います。先の植田和男氏の国会での所信表明の際にも、複数の議員から「こんな大変なときによく引き受けていただきました」と声をかけられています。特に今回の就任は日銀、財務省だけでなく国会議員も大変だと認識しています。ならば、なるべく就任しやすい環境を作る必要があります。
ひとつは報酬の問題です。総裁が3500万円、副総裁は2700万円です。手取りはわかりませんが、相当すくないはずです。もちろん、兼職も不可です。これでは国家公務員・日銀を退職した幹部の方が再就職した先の報酬を下回ってしまいます。
アメリカのFRBのパウエル議長の年収は20万ドル。今の為替レートで2600万円です。ただ、物価の水準が違いすぎますから、あまり比較にはなりません。それに議長は就任まえに投資銀行などで十分、報酬を得ています。
ひと昔、FRBのプロパー出身のボルカー議長の年収が800万円(就任当初は4万ドル台で8万ドルへ)。病気の子供を抱えてその治療費もかかるという状況でした。安い葉巻をいつも銜えている姿が印象に残っています。ただ、退任後の講演会での報酬は1回、1000万円を超えるものがならんでいました。後で優遇されるのです。これならば納得できます。
日本もせめてメガバンクの頭取クラスの報酬があって然るべきでしょう。麻生氏と茂木幹事長の推薦したM氏が難色をしめした理由にこの報酬問題もあったと聞いております。
〇永田町対策が課題に
新執行部のテーマは金融政策の正常化であることは間違いありません。金融政策のプロセスについては、多くの方策があります。ここでは省略しますが、先の国会での植田氏の答弁でほぼニュアンスはでていたように思います。
植田氏の国会答弁で気になったことに触れておきます。それは財政規律についてのコメントです。日銀の国債大量購入に関し、財政ファンナンスではないかと問われ、「インフレ目標2%がその歯止めとなる」と発言されたことです。これには二重におどろきました。
まず、物価が2%になったら(あるいは基調的に2%になったと判断したときに)国債購入を減らしていくということです。こうした考え方はいままで明らかにされていません。政府はびっくりしたはずです。冷静に考えれば、物価が2%になれば、長期国債金利はそれ以上になり、発行が抑制的になることが想定されます。・・にしてもです。
それと植田氏はそもそもインフレターゲットについては否定的でした(学者として)。それが逆利用しようとするのですから、驚きです。
最後に新体制について気になった点を。それは「永田町と対話ができるかどうか」(財務省OB)という点です。そもそも植田氏は学者ですので永田町とは接点がありません。加えて「口が重い方」(日銀OB)です。答弁をお聞きになってお分かりのように語尾が曖昧になります。雨宮氏のように切れのある語りではありません。霞が関の役人の得意技は議員に対する素早い説明です。場合によっては、議員の選挙区と同じ出身であれば方言も使います。
内田氏も「永田町ではまだ名前が浸透していません」(日銀OB)。異次元緩和の事実上のモデル設計者であり、それゆえ企画担当理事から副総裁に推薦されたといわれております。勿論、清和会・安倍派に配慮したものでしょう。内田氏は雨宮氏とおなじようにほぼ企画局畑一筋のキャリアです。しかも若くして企画局長に抜擢されています。したがって国会議員が関心をもつ地域金融機関のプルーデンス問題を説明する機会が少なかったのではないかと思われます。
加えて、氷見野氏も金融庁長官になったとき、永田町ではヒミノ・フー?でした。今回のウエダ・フー?に加えてのことですから、永田町対策は要注意です。この後の永田町向け体制つくりが注目されます。
国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)がモントリオールで12月19日、採択した「30by30」の本質について考えてみました。環境問題を超えた画期的な大きな枠組みですが、ヒトの生存地域の限定という意味も持ちます。ローマ・クラブの「成長の限界」報告書が公表されて半世紀が経ちました。ヒトの生存場所を限定する試みは、ひとつの答えを見いだしたといえるのではないでしょうか。
○ヒトの生きていく場所を制約する「30by30」
ローマ・クラブが「成長の限界」を公表して半世紀。資源の枯渇,汚染の広がりによって「100年以内,おそらく 50年以内に成長の限界に達し,この地球に破滅的結果をもたらす」と警告しました。この報告書の予言(見通し)は残念ながら的中したようです。
この警告に対し、最近、人類=ヒトが出した答えが注目されています。“30by30”(サーティ・バイ・サーティ)。これは国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)が採択したもので、2030年までに地球の陸と海の30%以上を自然環境エリアとして保全することを目標としています。
簡単に言えば、地球の野生生物の居場所を3割確保し、残りの7割の地面でヒトは生きていきなさいという国際条約です。環境保護だ、絶命危惧種の保全地域の確保だと近視眼的に考えてはいけないテーマだと思います。これは逆にヒトの生存地域を限定したと考えてみるべきでしょう(政治的には使い難い言葉ですが)。
地球上に見えない保護柵が張り巡らされ、あっち側とこっち側ができます。一見、保護柵は、野生生物のために設けられたように見えますが、ヒトが食い荒らす土地の制約でもあります。気温上昇を今後1.5度までにしようという温暖化抑止目標よりも、さらに厳しいものです。これほどヒトの行動を限定した条約はありません。ヒトは、ある局面での飢餓を容認し、自ら檻の中に入ったのです。
国連は2022年11月に地球の人口が80億人に達したと公表しました。一方、今後、柵の出入り口はどんどん閉められていきます。となれば溢れるヒトが出てきます。残された土地でのサバイバルが本格化します。表現はきつくなりますが、30by30は冷酷なジェノサイドという側面をもっているのです。
そんな見方はバイアスがかかりすぎている-と批判されならば、限界のグローバルな共通認識の成立と穏当な表現に変えてもいいのですが、どうも成長の限界に対する危機感としては迫力不足です。今年、ヒトの知恵は一歩踏み込んだと評価したいと思います。
○新自由主義経済理論の終焉
成長の限界に対する答えは、それこそ沢山ありますが、思想的な変化からピックアップするとすれば、新自由主義経済理論(思想)の放棄と終焉が挙げられます。これは今年に入って決定的になったというものではなく、ここ数年の総括として定着したものです。新自由主義は1980年代に登場した考え方で、徹底した規制緩和と市場原理主義をベースにした経済思想です。これにより自由な資本移動によるグローバル資本主義が定着しました。
それまでの国家による富の再分配を主張する自由主義や社会民主主義的な考え方のアンチテーゼとして圧倒的な支持を得ていましたが、新自由主義によって期待された“トリクルダウン”も起きず、否定的な論調が優勢になってきました。そして、象徴的であり、決定的であったのが米中衝突でした。中国にいいとこ取りされた米国が対中戦略を転換し、グローバル資本主義という思想は消えました。世界は分断されました。
この世界では今後、貿易は規制され、資本も規制されます。知財は閉ざされ、その結果、世界のGDPは減少に向かって行きます。GDPの減少は人口抑制につながります。つまり、これもまた成長の限界への答えなのです。新自由主義の否定が答えなのです。
新自由主義は非正規雇用を増やしただけでなく、生産性の低下について労働者に責任転嫁しました。しかし、その結果、格差社会を拡大し、80億人の生存を確保(あるいは抑制)するには、資本に富を与えるのではなく、労働者に富を与えなくてはいけません。資本を優先する新自由主義は、修正を迫られています。
最近、若い人たちがマルクスの資本論に興味をもっているというのもうなずけます。斎藤幸平の「人新世の資本論」も新自由主義を否定します。世界は完全に転換点を超えました。
概念的でしたので、もう少し金融面だけに絞って考えてみましょう。規制強化によって富の配分を調整するという自由主義的(あるいは社会民主的)政策が支配的になれば、いずれ為替・金利の規制が始まるかもしれません。いまの日本の金利はすでに事実上、完全規制金利です。為替は規制できませんが、中国が再規制すれば、事実上、円の相場規制もないとは言えなくなるでしょう。世界はRe-regulationの世紀に入ります。
(ここから、オマケの次期日銀総裁人事予想)
閑話休題。日本の硬直的な金利に触れましたので、ここで金融の話題をひとつ。
いま、黒田総裁が代われば金利が上昇するといった見方が広がっています。しかし、それは幻想とはいいませんが、あり得ません。日銀の金融緩和政策はいまの財政と自民党政治を支えています。後任が誰になっても緩和基調は変えようがありません。日銀が独立していると考えている方もいると思いますが、残念ながら、それこそ幻想です。
黒田総裁が代われば金利上昇―円安からの脱出と考えているのは市場関係者だけでなく、「自民党内議員もほとんどすべて」(関係者)という状況です。となると後任は“非黒田”人脈となります。リフレ派も排除されます(といってももう存在しませんが)。ここには黒田総裁の部下であった元副総裁の中曽氏、雨宮副総裁も含まれます。メディアはこのお二人を後任候補として書き立てていますが、空気は明らかに違うと思わざるをえません。
この黒田総裁時代に一貫して反黒田を旗幟鮮明にした人物がいます。そのなかでもとびぬけた度胸と知識をもつのは元日銀副総裁の山口広秀氏(日興リサーチセンター理事長・GPIF経営委員長)です。
かつて福井総裁が量的緩和(当座預金調整)を(実際には金融緩和ではないのに)金融緩和だと市場に思い込ませて為替相場を誘導したように、円安(つまり低金利継続)を日本経済の実態を表し、当然の相場であるような説明ができる人物を探すとなると山口氏しかいないように思います。
―これは一個人の予想と期待ですから、とくに情報源があるわけではありません。山口氏ならば金融緩和を堂々と継続しつつ、少し目先を変えていく手腕が期待できます。あえて根拠を書くならば、最近の宏池会と日銀OB人脈の接近です。岸田首相の経済ブレーンとして動いている気配があります。
女性登用で翁百合・日本総研理事長という声も聞こえますが、大きな組織を動かした経験がないというハンディが重いと思います。副総裁ならば・・・。
総裁人事は来年の国会が始まる1月27日の直後から2月の初めに公表されるでしょう。決めるのは自民党の岸田首相の宏池会人脈。安倍派の切り崩しという思惑も背景にあります。もちろん、麻生派の了承は必要条件になります。
財務省、金融庁は6月24日、定例の幹部人事異動を行った。中島金融庁長官は留任、財務省は矢野次官が退任、茶谷主計局長が昇格した。いずれも既定路線のトップ人事だった。「60歳定年の天井」を意識した人事となりつつあり、財務省も金融庁も足早の異動が目立つようになっている。金融庁では伊藤豊監督局長、財務省では青木官房長人事が注目される。
<金融庁>
◎中島長官の続投と次期長官の絞り込み
中島淳一長官(60年)の続投は昨年、長官に就任したときからのほぼ予定通りの人事だったというのが、大方の見方です。61年の古澤知之市場企画局長を昇格させるという人事構想があれば別ですが、市場企画局長は次の局長ポストが見えない場合、ほぼ“上がりポスト”ですので、この構想は消えていたと思われます。
ただ、長官の続投というのは一般的ではなく、基本は退任です。内閣人事局が発足したあとも、長官(次官クラス)は、任期の終わりが見えてきた時点で担当の大臣に辞任の意向を伝え、大臣がそれを受け取るかどうかという形式的な儀式があります。そのとき本人の続投の意向がない限り、続投はありません。今回は中島長官にはその意向があったということです。
続投の理由として、通常は政策テーマの継続案件や新規テーマの立ち上げなどを挙げることが多いのではないかと思います(官邸との関係もあります)。今回何をテーマとしたのか、判然としませんが、少なくとも必須の「中島案件」があったようには見えません。政策テーマはさておき、「金融庁内部マネジメントが優先された」(関係者)のではないかとみられています。(真実はわかりません)
内部管理については、いくつかの理由が挙げられます。なんといっても、“中島後”の円滑な人事、次の長官人事への布石です。61年の古澤氏と栗田氏と62年の松尾元信総合政策局長を退任させ、62年の栗田監督局長を“格上”の総合政策局長に昇格させたことに象徴されます。栗田氏にとって風通しのよい状況となりました。
栗田氏は監督局長を4年間連続して歴任しただけでなく、監督局以外のキャリアがわずかで監督局一筋という極めて異例のキャリアです。政策立案に直接的に関与する、あるいは責任をもつことが少なくもっぱら個別監督行政に携わってきたため、今回、政策形成・立案という経験を積むことができるポストに回り、「長官としての幅を身に着けるチャンスを中島長官が与えた」(同)という見方があります。次期長官の最有力候補となりました。
総括審議官から監督局長に昇格した伊藤豊氏(平成元年)は、財務省から令和元年に金融庁に転じた大物財務官僚です。主税局税制2課長のあと秘書課長を4年。次は主計局次長というのが、常識的なコースです。ところが、金融危機の際、金融庁監督局におり、またその終戦処理のための産業再生機構の立ち上げにかかわるなど厳しい状況下での金融回りのキャリアもあったことと、また、自身が大学2浪、1留ということで3年のアヘッドがありました。「そのまま主計局コースから事務次官を目指すと年齢制限が厳しくなることから、長官含みで金融庁行きを決心した」(同)とのことです。
伊藤氏は実年齢でいえば、61年入省組となります。つまり、古澤氏と同じ、栗田氏よりも1年上ということです。ひと昔前のように定年まで働くということを想定していない時代ならばともかく、いまは60歳定年(公務員定年と局長の定年)の天井を意識した人事となっています。
伊藤氏の任期は厳密に運用されるならば、残り1年9か月(2024年3月末)となります。形式的には、それまでに定年が62歳の次官クラスである長官になる必要があります。仮に来年、留任あるいは、他局の局長に就任するとその任期中に定年を迎えてしまいます。ただ、実際には特例があり、任期中の定年退官はなく、任期を延長することができますので、来年も局長クラスでも定年の上限をクリアすることができます。
つまり、人事を厳密に運用するならば、伊藤氏は来年、長官になってもおかしくないということになります。
あくまで定年問題からの制約を書いただけですので、政策の立案、現下の課題処理(ここでは一切触れていませんが)など本筋の適材適所の人事を優先するならば、栗田長官はほぼ確実と思われます。ただ、栗田総合政策局長のミッションがどうなるのかが注目されます。前総合政策局長の松尾氏のそれは、マネロン、フィンテックと検査でした。官房機能は総括審議官に完全に委譲していました。これと同じだとするとやや権力不足の感が出てきます。常識的には栗田氏ですが、何かあれば伊藤局長が起用されるかもしれません(一応、イクスキュウーズさせていただきます)。
栗田長官1年、そのあと伊藤長官2年でしょう。なお、お二人のほかに長官候補はおりませんが、下記の天谷氏の官邸によるサプライズ起用の確率1%としておきたいと思います。
◎女性登用の本格化は平成8年組以降に
人事の円滑化の第2の理由として、女性登用があります。60年入省の中島長官が退任してしまいますと61年の天谷知子金融国際審議官(財務省の財務官と同格で次官クラス)の扱いが難しくなります。同期の古澤氏を出したので、天谷氏も退任の可能性がありました。中島氏が続投ならば、年次からも天谷氏も留任できます。「官邸(内閣人事局)は、女性登用しか見ていない」と言われるほど、女性官僚の地位に配慮しています。
天谷氏が退任となれば、実は幹部となる女性がいません。財務省では木村秀美国税庁調査査察部長(2年・内示不明のため現職表記)が次の幹部候補です。ただ木村氏が金融庁に来る可能性が低いため、金融庁の幹部は当面、不在となります。
金融庁では、財務上級の平成4年に木股英子(証券取引等監視委員会事務局総務課長・内示不明のため現職表記)氏がおりますので、木俣氏を引き上げていくのではないかとみられています。したがって、天谷留任は官邸からも必須の人事だったようです。
肝心の金融庁採用キャリアの女性をみると平12年の中川彩子氏(前監督局証券参事官・内示不明のため現職表記)が最初の幹部最有力候補となりますが、天谷氏とはかなり年次が離れてしまいます。この10年間のブランクを埋めるのは不可能かもしれません。
財務省が女性キャリアを意識的採用し始めたのが平成8年。平成25年まで各期1名から2名採用しています。これが平成26年以降は5名です。金融庁のキャリアもほぼ同じタイミングで5名程度採用しています。ですから、すくなくとも平成8年組以降が幹部になるまで待つしかなさそうです。平成25年頃入省・入庁からはかなり女性幹部が目立つようになるでしょう。内閣人事局もそれまではお待ちをというところでしょう。
<財務省>
◎波乱の官房長人事
財務省の矢野康治次官60年から茶谷栄治次官61年へのバトンタッチは既定路線。ほかの幹部人事も無風の予定でしたが、人事異動の直前に起きた小野平八郎前総括審議官(元年)の信じがたい泥酔暴行事件(5月20日未明)によって、官房長人事と理財局長人事が急遽変更されました。「小野氏はすでに次期官房長という内示を受けており、また官房長になった青木孝德主税局審議官(元年)は、理財局長という予定」(関係者)でした。
官房長という重要ポストの就任予定者が幹部人事の異動から外されたため、時間の余裕があるのなら大幅な入れ替えが検討されたと思いますが、内示まで1か月しかなく、すでに財務省の骨格である主計局の人事が固まっており、動かしようがなかったとのことです。
そこで応急処置ということでなるべく影響の出ない人事となり、青木氏を官房長とし、東海財務局長であった齋藤通雄氏(62年)を理財局長に起用しました。
東海財務局長から理財局長になった人事は初めてのことです。そもそも本省局長に異動した人事はありません。従来は、本省に戻るのであれば、審議官、局次長、ほかの地方局長、あるいは預保や政府系金融機関などに出向というパターンです。如何に特異であったということの証左でしょう。一部の新聞報道にもありましたように齋藤局長のそれまでの理財局でのキャリアが評価されたという面もあります。
官房長人事に関しては、昨年このコラムで「元年入省同期の小野平八郎氏の大臣官房総括審議官と宇波弘貴主計局次長の留任くらいのものではなかったかと思います。太田前事務次官が最も信頼していた宇波氏が総括審議官になると見られていました。」と書きました。これは間違いでした。まさか宇波氏が岸田総理秘書官になるとは知りませんでした。
岸田内閣発足時に首席秘書官となった嶋田隆氏(元経産事務次官57年)が宇波氏の厚労関係の厚い人脈を頼んでの人事でした。宇波氏は厚労省とのつながりだけでなく、厚労主計官時代からの日本医師会とのパイプも太い方です。財務省からすでに中山秘書官(4年)を送り込んでいますので、この結果、財務省からは二人秘書官を送り込むことになりました。これまでにないことです。
今年は宇波氏の官房長説もありました。岸田総理が打ち上げた大きな厚労省改革である「こども家庭庁」の設置と「感染症危機管理庁」の新設という実績を上げていますので、本省に戻るという選択もあったはずです。しかし、そこは官邸側が離さなかったということです。後者の感染症危機管理庁の設置は決まったものの、法案ができていないという事情もあります。ほかにも岸田総理が必要としている理由もあるのかもしれません。宇波官房長説が消えて矢野次官お気に入りの小野氏となったわけですが、まさかの事態となりました。
なお、小野事件については、理解できないことがあります。なぜ、深夜なのにタクシーを使わなかったのか、最初に報道したのがTBSだけだったのか(察回りの記者ならば当然知っているはずなのに他社は報道していない)、被害届は出さない意向だったのに、警察に促されて被害届をだしたこと、いまだに示談が進んでいないこと(これは実際のところわかりません。終わっているかもしれません。未決着ということもあり得ます)等々。普通、酔っぱらいの暴行ならば、示談でおわり、不起訴です。まあ、それにしても官房長の椅子を失った代償はあまりにも大き過ぎました。