2025年度金融庁・財務省幹部人事異動評―金融庁幹部は初の留任なし、財務省は無風

金融庁・財務省は7月1日、夏の定期人事異動を発令した。金融庁井藤英樹長官が任期1年で勇退し、新長官に伊藤豊前監督局長が昇格した。これにともない金融庁の局長クラスはすべて留任なく異動した。これまで長官以下、全局長の異動は金融庁の前身である金融監督庁時代を含め初めてのことで極めて珍しい人事となった。一方、財務省は次官が留任したことからほとんど無風の幹部人事となった。国税庁長官、関税局長、国際局長の異動には森友学園の影が影響していると思われ、それが引いては次官人事留任まで影響したといえそうだ。こちらも異例といえば異例で通常ではありえない人事となった。

<金融庁>

◎長官以下、初めて全幹部が異動という珍しい人事に

 

 長官が代わると幹部も大幅に異動するものですが、今回の人事では珍しいことに金融庁発足が発足して25年経ちましたが、その前の金融監督庁時代を含めて、初めて、すべての幹部が異動になりました。繰り返しますが、四半世紀以上に及ぶ歴史のなかで初の全トッカエなのです。

 

 もちろん、たまたまかもしれませんが、金融庁の組織が充足され大所帯の人数となるにつれ、ポストが相対的に不足してきたことが影響しているのでしょう。金融庁キャリアの採用も進み、幹部ポストはますます狭き門となりつつあります。このため、幹部供給元の財務省も自由に出向させて幹部に据えるということが、難しくなります。「金融庁に出向したら局長ポストを約束する」ことが、空手形になった人事も散見されるようになりました(これがいま財務省と金融庁との間の言った言わない問題にもなっています)。ひとつのポストが動けば玉突き状態でほかのポストが動き出すようにぎゅう詰め状態になりつつあります。

 

 加えて役職定年(霞ヶ関では国家公務員の身分を保障する定年とは別にポスト毎に定年制が導入されています(局長は60歳、次官62歳、金融庁長官は特別に65歳)。この天井に近付いている職員が毎年、増えており、これが人事異動の圧力となり、今回のような大量異動を招くことの大きな背景となっています。

 

◎新長官に伊藤監督局長が昇格

 

 さて、井藤英樹長官(昭和63年大蔵省入省)が1年で勇退しました。昨年の栗田前長官をはじめ、これまで数名が1年で退官していますが、レアケースといえるでしょう。長官は異例の65歳という定年なので続投の意向があれば尊重されます。ただ、今回は大分、早い時点、年明け早々に1年という噂が流れていました。

 

 理由は二つほど考えられます。ひとつは後任の長官候補者の役職定年抵触という事情です。今度、長官となった伊藤豊氏(1年=とくに歴号表記がない場合は平成)は役職定年の延長申請を2度行っています(規則では3度まで)。人事院の規則により、延長はほかのポストへの異動や昇格は認められず、あくまで「同じポストの延長の申請」となりますので、金融庁のトップポストである監督局長として3年間留任したわけです。もちろん、建前は長官就任を待っていたということではなく、監督局長としての仕事があるという理由になります。

 

 伊藤氏のほかにも今回、新監督局長となった石田晋也(2年)前総括審議官や総合政策局長となった堀本善雄(2年)前政策立案総括審議官も来年3月に役職定年となり、今年、局長に昇格しないと現ポストのまま定年延長を申請することになってしまうのです。このお二人が局長にならないまま来年を迎えてしまうことは何ともナンセンスです。今年が事実上、昇格する最後の年でした。というわけでどうしても局長にしなければならない幹部がいるためという理由は真相に近いと思われます。

 

 もうひとつは、あまり書きたくないのですが、今年の3月に金融商品取引法違反(インサイダー取引)に問われた裁判官出身の元金融庁職員、S氏の判決公判があり、懲役2年、執行猶予4年、罰金100万円、追徴金約1020万円(求刑懲役2年、罰金100万円、追徴金約1020万円)の判決が言い渡されました。被告は、金融庁の企画市場局企業開示課の課長補佐としてTOB(株式公開買い付け)に関する書類審査などを担当していましたので、悪質であるとし、「金融庁による監督制度の信頼を大きく失墜させた。規範意識の欠落は甚だしい」と厳しい判決がでました。

 

 本当にすごいスキャンダルです。金融行政に直接かかわる事件ですので、事の本質としては大蔵省時代の過剰接待問題よりも深刻なものです。その監督責任があるとし、旧と現職の企画市場局長、企業開示課長に対し金融庁は処分を行いました。井藤長官の前職は企画市場局長です。結果責任とはいえ、ペナルティはペナルティです。幹部人事を承認する内閣人事局はこの事件を重大と判断していたと聞いています。長官の留任は難しかったのかもしれません。

 

 当時の企業開示課長であった野崎彰(12年FSAキャリア)氏は、今回の人事で、外務省に出向・在英国日本国大使館参事官になりました。企業開示課長は金融庁のなかでも花形ポストです。次に海外に行くようなポストではありません。正直、この人事をみたとき、かなり厳しい処遇と思いました。リカバリーまでには時間がかかるのではないでしょうか。

 

◎新長官・局長のテーマ―モニタリングのオン・オフ一体化による“大監督局”の実現とミッションの激変

 

 伊藤新長官のテーマは、「金利ある世界」へ移行するにともない、今後、業界の再編がさらに進むことが想定されますが、それを如何にスムーズに進めていくか。そして、今年、新たに掲げた「地域金融力強化プラン」の年内策定が新機軸となります。趨勢的な人口減少・高齢化の中で、地域経済をどう支えるのか、これが2大テーマでしょう。

 

「地域金融力の強化」という言葉は抽象的でわかりにくいものです。具体的な政策がまだ見えていません。単に地域金融機関の体力補給なのでしょうか。再編による体力強化には限界が見えているのは衆目の一致するところです。かつて地銀の資本余力の掃き出し=債権放棄=企業救済に動いたことがありましたが、それで地域経済を支えるということにはならないでしょう。どのようなアイディア、施策が示されるのか。

 

 従来からの新しい資本主義構想への貢献策や新規の金融サービスの環境整備は当然、継続です。挙げていけばきりがありません。金融庁の業務分野がいつのまにか、こんなにも増えてしまったのかと一入の感慨があります。ここでは取り上げませんが、組織の自己増殖本能にブレーキをかける人がいません。暗号資産だって、サステバブルファイナンスも担当は経産省でいいのではないかと思うのですが・・・。

 

 もう一つの大きなテーマは、「組織改革」の実効性を高めることです。今回の人事異動に伴って、組織運営が大幅に変更されました。ひとつは、モニタリング機能の大半を監督局の指揮下に置くというものです。旧検査局を引き継いできた総括審議官の機能を見直し、監督局と一体化しました。これまで総合政策局に置かれモニタリング担当となっていましたが、総合政策局から事実上、出ることになりました。これは旧組織ベースでみると監督局が検査局を吸収した形となります。銀行1課長の下には大手銀行モニタリング参事官(新設)が置かれます。すでにこの運用体制は試行されていましたが、組織的に明示しました。石田監督局長―柳瀬総括審議官ラインが組織的に完成します。このラインを機動的に動かせるかどうかがポイントになります。

 

 また、官房機能の所在も明確化されました。総合政策局長は、これまでモニタリングまでカバーしてきましたが、今後、官房機能と従来からの暗号資産や新規の決済ビジネス担当にほぼ特化します。旧組織図にあった「官房部門」、「モニタリング部門」、「国際部門」という表記が削除されました。

 

 屋敷前局長が退任し、新局長には堀本氏が就任しました。堀本局長が金融庁と官邸、他省庁との橋渡し役です。ただ、大監督局の運営も官房も伊藤長官のリーダーシップが発揮されそうです。

 

 企画市場局長、金融国際審議官、国際総括官、証券取引等監視委員会事務局人事も想定された人事で波乱というか、意外な人事ではありませんでした(図表参照)。

 

◎注目の金融庁秘書課長人事

 

 課長クラス人事について、注目されるのは秘書課長に金融庁キャリアの八木瑞枝氏(FSA11年入庁。前職は財務省主計局文部科学係参事官)が就任したことです。ご本人も戸惑ったと仄聞していますが、周囲もあっと驚く人事でした。当初、男性の人事案が提出されたようですが、加藤大臣から女性登用という指示が出たとか、出ないとか。真相は不明ですが、金融庁入庁キャリアが重職に就いたということは特記すべきことかと思います。

 

 金融庁の秘書課はOB人事に関与していませんし、職員の人事は長官が指示しますので、失礼ながら財務省の秘書課長ほどの権力はありません(かつて総務企画局総務課長が兼ねていたこともあります)。また、幹部の人事は官邸の意向次第ですから、伊藤長官の指示通りに動けるかどうかでしょう。やりにくさということで言えば、親元の財務省秘書課長とのやり取りでしょうか。法律の建付けは別として、金融庁は財務省から分割・独立した組織ですが、大臣が兼務するという慣例が確立されており、一体的に対応することが暗黙の了承となっています。たとえば国際金融関係では一体化していると言って過言ではないでしょう。したがって財務省との様々な交渉が想定されます。グレイな案件もあるでしょう。

 

 なお、財務省でもついに本省局長クラスに女性が登用されました。財務総合政策研究所長となった木村秀美氏(2年)です。関東信越国税局長、大阪国税局長から本省に戻りました。

 

<財務省>

◎不気味な無風だった財務省人事に森友学園の影

 

 財務省の人事は次官以下、主流の留任が目立ち、無風という感じがします。明らかに森友学園の影響が出た形かとおもわれます。森友学園問題に関して財務省が改ざんした決裁文書が改めて6月に公開され、それに先立ち3月に与野党の国対が公表方針を決定したことから、次官勇退という人事構想がとん挫したものとみられます。年明けあたりから風むきが変わったのではないでしょうか。このあたりの事情は文春の霞ヶ関コンフィデンシャルに出ています。

 

 3月以降にはすでに小幅人事という路線になっていたと思われます。財務省が検察に任意で提出した資料のうち9,000ページ公開されましたが、来年の3月までに残る2万ページに及ぶ資料が公表される予定です。

 

 6月の公表資料でも意味のある文書は出てきていませんでした。残る文書についてもどれだけ安倍元総理との関係を示すものが出てくるのかどうか。まあ、公表されたものをみるしかありませんが、メディアが探しているような政治家との応接録は規則によってすでに廃棄処分されています。(公表資料に欠番があるという指摘がありますが、まさにここに応接録があったところで、すでに廃棄されています。)

 

 払下げ価格が安かったという指摘もありますが、一方でもともと地下に大きな残骸が捨てられているゴミ捨て場だったため、売れるような土地ではないという見方もあります。このあたりの議論はさんざんありましたが、すでに決着済みです。ただ、蒸し返しに対して財務大臣も積極的に対応すると表明されていますので、理財局周りの人事には配慮したものと思います。

 

 ・・・ということで新川次官は留任。主計局長、主税局長、官房長の重要ポストが留任です。で、注目されたのは理財局長人事ですが、井口裕之(平2)前沖縄振興開発金融公庫副理事長が就任しました。まず縄振興開発金融公庫副理事長からの転任には驚きです。普通は考えられない人事です。

 

 また、井口氏は理財局のキャリアは次長、総務課長、国有財産企画課長と経験豊富ですが、理財局のいまの喫緊の課題である国債発行調整という政策にはタッチしていません。国有財産畑の方です。ここに森友対策の意向があるように思われます。

 

◎将来の事務次官人事にも影響

 

 井口氏の理財局長を優先したためかどうかは、もちろん、不明ですが、本命は総括審議官の寺岡光博氏(3年)でした。その寺岡氏は関税局長へと異動しました。森友のときに菅官房長官の秘書官でしたので官邸と財務省をつなぐ人物でした。事情を知るということになります。寺岡氏を矢面に立たせない配慮で関税局に回したという見方も成立します。

 

 寺岡氏が理財局長にならなかったため、今後は関税局長から国税庁長官コースが見込まれます。つまり将来の次官人事に波及します。来年の次官は宇波主計局長でほぼ100%決まりです。その後任の主計局長の穴を埋めるのは、多分、寺岡氏だったのではないかと思われます(つまり次官候補)。そのルートが変更されたため、青木孝徳主税局長(1年)の主計局長説の可能性が出てきました。

 

 国際局長も異例でした。最有力候補の土谷晃浩(2年)前国際局次長の昇格とみていたところ、まさかの退職です。局長には、土谷氏の部下である緒方健太郎(4年)国際局審議官が就任しました。審議官から局長になったケースはあまりみたことがありません。国際局畑は国際機関への転出という特殊要因があるため、事情がつかみにくく、もしかするとそうした外部の事情で今回の人事となった可能性があります。実際、国際機関での人事案件がいくつも転がっているので、案外かもしれません。

 

 他省庁への出向を含めて全体的に停滞感が隠せません。同期で同じポストをたらい回ししているケースもあり、苦しい調整だったことが伺われます。


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2024年度金融庁・財務省幹部人事異動評-色濃い年次順送りか

財務省と金融庁は7月5日付で幹部の定期異動を行った。金融庁の栗田長官、財務省の茶谷事務次官とも1年で勇退し、次期長官に井藤英樹氏(63年)、次期財務次官に新川浩嗣氏(62年)が任命された。財務省は局長以上の幹部の退職者が比較的多く、内閣官房との入れ替え人事も目立ち人事異動が大幅なものとなったが、金融庁は栗田長官のみの退職ということから留任人事が目立つ結果となった。

<金融庁>

◎栗田長官が1年で退任、後任に井藤氏

 

 今年は栗田照久長官(62年)の留任か伊藤豊監督局長(元年)の昇格とみていましたので、井藤英樹企画市場局長(63年)の長官就任は驚きでした。ゴールデンウィーク前の4月に井藤氏の長官説が流れ、まさかと思いましたが、本当でした。

 

 2年前に井藤氏の長官説が流れました。2022年、政府が「成長と分配の好循環」「新しい資本主義」というキャンペーンを打ち出しましたが、これを起案したのが新原内閣官房審議官です。金融庁が持ち込んだ「資産倍増計画」と「資産運用立国」プランは、この路線に沿ったものでした。A4数ページのペーパーを持って行ったのが当時企画市場局長であった井藤氏でした。

 

 ご存じのように新原氏は安倍総理と菅総理に可愛がられた総理ブレーンの一人です。マクロ政策の立案、骨太の方針を書いているのも新原氏です。彼に採用されたペーパーは政府の方針となり、その論功、功績は井藤氏に授けられたということです。そこが発火点。長官説が生まれたと聞いております。

 

 論功説が正しいのかどうかはわかりません。官邸関係者によれば、確かに内閣人事局が評価したのは事実だと思われますが、むしろ「人事局は入省年次を考慮して淡々と人事案を作った」(MOF関係者)という見方もあります。栗生人事局長の生真面目なスタンスを反映しているとのことです。

 

 たしかに幹部の評価が数枚のペーパーで決まるわけはないのです。それまでの人事評価、とりわけ現職金融庁長官の人物評価が決め手になります。栗田長官が金融庁の幹部の年次を考慮して、1年、下の年次から順繰りで後任を選んだという“解説”のほうが真実に近いと思われます。

 

 栗田長官の退官で、今後「長官は1年」ということが定着する可能性があります。これまでも氷見野氏、細溝氏が1年で長官を勇退していますが、金融庁(金融監督庁)が発足して25年の間にたった二人ということで例外的でした。複数年が常識化していましたが、幹部の定年が近くなり、ほかの省庁と同じようにトップ(次官クラス)は1年で交代せざるを得なくなっています。

 

 なお、金融庁の長官の役職定年は異例の65歳となっています(ほかの省庁はほとんどが62歳)。組織発足時に年次の高い長官が起用されたためです。国家公務員の定年年齢の引き上げが昨年の4月から実施され、60歳定年から61歳定年となっています。今後、2年間で1年ずつ定年が引き上げられていきます。いずれ65歳となります。これにともなって役職定年の引き上げも必要になるでしょう。事実上ナンバー2の監督局長と長官の年齢の乖離が大きくなれば、人事全体の阻害要因になるからです。

 

 栗田長官の実績として記しておかなければならないのは、ビッグモーター事件に端を発した損保談合に対する行政処分でしょう。中小地銀への公的資金に追加出資も批判はありますが、「決断」だと思います。農中の有価証券運用の失敗についての第1義的な監督責任は農水省にあります。通常であれば、トップの責任追及は免れないところですが、これも長官の決断があったと思われます。もうひとつ追加すれば、あおぞら銀行への大和証券の出資も大きな判断です。あおぞら銀行への公的資金注入も考えられるところ、大和証券を引き出したのは、行政の力が働いたとしか思えません(この事実関係は不明です。推測に過ぎません)。

 

 井藤新長官のテーマは多すぎて困りますが、ひとつ挙げるとすれば金融界の耐久性の維持。マクロプルーデンスへの取り組みではないでしょうか(これは栗田長官以前からのテーマではありますが)。長期にわたった低金利環境によって、銀行の利ザヤは極限まで低下しました。いくら資本が厚いといっても、この状況では取引先のリスクを吸収することができないでしょう。金利があれば倒産リスクをカバーできますが、いかんせん、超低金利が長引きすぎました。地方経済のリスクバッファである地域金融機関がどの程度、耐久力があるのか。

 

◎日銀出身の局長の誕生

 

 屋敷利紀氏(元年・日銀)の総合政策局長への昇格にも驚きはありましたが、同時に納得感もあります。これまでモニタリング畑一筋ですから、総合政策局長はもっともふさわしいポストでしょう。総合政策局長というポストの職務権限・所掌について金融庁は当初、“官房長ポスト”にするということを目論でいました。しかし、事実上の親元である財務省や内閣官房人事局からの反対により、実質的に“検査局長”となっています。検査局を廃止したものの結果として名前を変えただけという感じです。この検査マニュアルがない“検査局”をどう動かしていくか、屋敷氏の豊富なキャリアがものを言いそうです。

 

 屋敷氏は日銀出身です。これまでも金融庁との間をなんども行ったり来たりで、最終的に金融庁に転籍されました。日銀出身者の局長誕生には、財務省筋からの異論もあったようですが、淡々と押し切った感じがあります。屋敷氏の転籍については、日銀の雨宮元副総裁と森元長官との間で「将来、局長として処遇する」という約束があり、これが実行されたということです。画期的な人事といえるのではないでしょうか。一度、民間にでて金融庁に戻ってきた堀本政策立案総括審議官の処遇にも影響があるかもしれません。

 

 油布氏の市場企画局長は当然の異動と受け止められています。昨年の異動も考えられたところです。しかし、井藤氏が留任したために伸びていたということでしょう。石田総括審議官は事実上の官房長を引き続き担い、来年、監督局長というコースを辿るのではないかとみられています。

 

◎来年の長官人事

 

 間違いなく伊藤監督局長(元年)の昇格かと思います。その次は石田総括審議官(2年)です。平成3年の候補者は「まだ絞り切れていない」(MOFOB)とのことなので、ここでは不明としておきます。もしかすると2年組で二人起用、あるいは伊藤氏が2年ということで調整するかもしれません。平成4年は、キャリアから言えば、柳瀬護総合政策局審議官(モニタリング担当)です。今年、総括審議官になるとみていました。

 

<財務省>

◎順当人事とサプライズ人事

 

 下記の表のように茶谷次官から新川次官へのバトンタッチなど、局長クラスの異動はほぼ想定内でした。順当人事です。少しだけ岸田内閣の改造を匂わせている面もあります。ただ、多少のサプライズもありました。

 

 一つは、国税庁長官人事です。住澤氏(63年)は留任かとみていましたが、2年の奥理財局長が昇格しました。年次が元年とひとつ上の青木孝德主税局長は来年に長官かと思いますが、奥氏と順番が逆になった感があります。

 

 二つめは関税局長ポスト。高村氏は内閣官房内閣審議官(国家安全保障局)から本省に戻りました。その前はADB(アジア開発銀行)、国際局の地域協力課長ですので、キャリアからすると意外感がありました。もっとも、関税局長は、安全保障や国際局長と仕事が似ている面がありますので、なるほどと。

 

 3つ目は、江島一彦(2年)関税局長の内閣官房TPP担当です。てっきり国税庁長官コースかと思っておりました。以前に同じコースの人事がありましたので大きなサプライズではありませんが、アメリカの大統領選やほかの内政外政に配慮した感があります。

 

 4つ目は、窪田(63年)内閣官房内閣人事局人事政策統括官の理財局長人事。よく本省に戻した感があります。金融危機のときに日債銀の頭取になった窪田元長官のご子息です。裁判を含め非常に苦労された元頭取の顔が浮かんできました。

 

 なお、財務省が復興庁事務次官のポストを失った点が気になるところです。角田事務次官の後任が出ていません。東北大震災にも区切りがついたということになるのでしょうか。


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2022年度金融庁・財務省人事異動評ー次期長官の絞り込みと波乱の官房長人事

財務省、金融庁は6月24日、定例の幹部人事異動を行った。中島金融庁長官は留任、財務省は矢野次官が退任、茶谷主計局長が昇格した。いずれも既定路線のトップ人事だった。「60歳定年の天井」を意識した人事となりつつあり、財務省も金融庁も足早の異動が目立つようになっている。金融庁では伊藤豊監督局長、財務省では青木官房長人事が注目される。

<金融庁>

◎中島長官の続投と次期長官の絞り込み

 

 中島淳一長官(60年)の続投は昨年、長官に就任したときからのほぼ予定通りの人事だったというのが、大方の見方です。61年の古澤知之市場企画局長を昇格させるという人事構想があれば別ですが、市場企画局長は次の局長ポストが見えない場合、ほぼ“上がりポスト”ですので、この構想は消えていたと思われます。

 

 ただ、長官の続投というのは一般的ではなく、基本は退任です。内閣人事局が発足したあとも、長官(次官クラス)は、任期の終わりが見えてきた時点で担当の大臣に辞任の意向を伝え、大臣がそれを受け取るかどうかという形式的な儀式があります。そのとき本人の続投の意向がない限り、続投はありません。今回は中島長官にはその意向があったということです。

 

 続投の理由として、通常は政策テーマの継続案件や新規テーマの立ち上げなどを挙げることが多いのではないかと思います(官邸との関係もあります)。今回何をテーマとしたのか、判然としませんが、少なくとも必須の「中島案件」があったようには見えません。政策テーマはさておき、「金融庁内部マネジメントが優先された」(関係者)のではないかとみられています。(真実はわかりません)

 

 内部管理については、いくつかの理由が挙げられます。なんといっても、“中島後”の円滑な人事、次の長官人事への布石です。61年の古澤氏と栗田氏と62年の松尾元信総合政策局長を退任させ、62年の栗田監督局長を“格上”の総合政策局長に昇格させたことに象徴されます。栗田氏にとって風通しのよい状況となりました。

 

 栗田氏は監督局長を4年間連続して歴任しただけでなく、監督局以外のキャリアがわずかで監督局一筋という極めて異例のキャリアです。政策立案に直接的に関与する、あるいは責任をもつことが少なくもっぱら個別監督行政に携わってきたため、今回、政策形成・立案という経験を積むことができるポストに回り、「長官としての幅を身に着けるチャンスを中島長官が与えた」(同)という見方があります。次期長官の最有力候補となりました。

 

 総括審議官から監督局長に昇格した伊藤豊氏(平成元年)は、財務省から令和元年に金融庁に転じた大物財務官僚です。主税局税制2課長のあと秘書課長を4年。次は主計局次長というのが、常識的なコースです。ところが、金融危機の際、金融庁監督局におり、またその終戦処理のための産業再生機構の立ち上げにかかわるなど厳しい状況下での金融回りのキャリアもあったことと、また、自身が大学2浪、1留ということで3年のアヘッドがありました。「そのまま主計局コースから事務次官を目指すと年齢制限が厳しくなることから、長官含みで金融庁行きを決心した」(同)とのことです。

 

 伊藤氏は実年齢でいえば、61年入省組となります。つまり、古澤氏と同じ、栗田氏よりも1年上ということです。ひと昔前のように定年まで働くということを想定していない時代ならばともかく、いまは60歳定年(公務員定年と局長の定年)の天井を意識した人事となっています。

 

 伊藤氏の任期は厳密に運用されるならば、残り1年9か月(2024年3月末)となります。形式的には、それまでに定年が62歳の次官クラスである長官になる必要があります。仮に来年、留任あるいは、他局の局長に就任するとその任期中に定年を迎えてしまいます。ただ、実際には特例があり、任期中の定年退官はなく、任期を延長することができますので、来年も局長クラスでも定年の上限をクリアすることができます。

 

 つまり、人事を厳密に運用するならば、伊藤氏は来年、長官になってもおかしくないということになります。

 

 あくまで定年問題からの制約を書いただけですので、政策の立案、現下の課題処理(ここでは一切触れていませんが)など本筋の適材適所の人事を優先するならば、栗田長官はほぼ確実と思われます。ただ、栗田総合政策局長のミッションがどうなるのかが注目されます。前総合政策局長の松尾氏のそれは、マネロン、フィンテックと検査でした。官房機能は総括審議官に完全に委譲していました。これと同じだとするとやや権力不足の感が出てきます。常識的には栗田氏ですが、何かあれば伊藤局長が起用されるかもしれません(一応、イクスキュウーズさせていただきます)。

 

 栗田長官1年、そのあと伊藤長官2年でしょう。なお、お二人のほかに長官候補はおりませんが、下記の天谷氏の官邸によるサプライズ起用の確率1%としておきたいと思います。

 

◎女性登用の本格化は平成8年組以降に

 

 人事の円滑化の第2の理由として、女性登用があります。60年入省の中島長官が退任してしまいますと61年の天谷知子金融国際審議官(財務省の財務官と同格で次官クラス)の扱いが難しくなります。同期の古澤氏を出したので、天谷氏も退任の可能性がありました。中島氏が続投ならば、年次からも天谷氏も留任できます。「官邸(内閣人事局)は、女性登用しか見ていない」と言われるほど、女性官僚の地位に配慮しています。

 

 天谷氏が退任となれば、実は幹部となる女性がいません。財務省では木村秀美国税庁調査査察部長(2年・内示不明のため現職表記)が次の幹部候補です。ただ木村氏が金融庁に来る可能性が低いため、金融庁の幹部は当面、不在となります。

 

 金融庁では、財務上級の平成4年に木股英子(証券取引等監視委員会事務局総務課長・内示不明のため現職表記)氏がおりますので、木俣氏を引き上げていくのではないかとみられています。したがって、天谷留任は官邸からも必須の人事だったようです。

 

 肝心の金融庁採用キャリアの女性をみると平12年の中川彩子氏(前監督局証券参事官・内示不明のため現職表記)が最初の幹部最有力候補となりますが、天谷氏とはかなり年次が離れてしまいます。この10年間のブランクを埋めるのは不可能かもしれません。

 

 財務省が女性キャリアを意識的採用し始めたのが平成8年。平成25年まで各期1名から2名採用しています。これが平成26年以降は5名です。金融庁のキャリアもほぼ同じタイミングで5名程度採用しています。ですから、すくなくとも平成8年組以降が幹部になるまで待つしかなさそうです。平成25年頃入省・入庁からはかなり女性幹部が目立つようになるでしょう。内閣人事局もそれまではお待ちをというところでしょう。

 

<財務省>

◎波乱の官房長人事

 

 財務省の矢野康治次官60年から茶谷栄治次官61年へのバトンタッチは既定路線。ほかの幹部人事も無風の予定でしたが、人事異動の直前に起きた小野平八郎前総括審議官(元年)の信じがたい泥酔暴行事件(5月20日未明)によって、官房長人事と理財局長人事が急遽変更されました。「小野氏はすでに次期官房長という内示を受けており、また官房長になった青木孝德主税局審議官(元年)は、理財局長という予定」(関係者)でした。

 

 官房長という重要ポストの就任予定者が幹部人事の異動から外されたため、時間の余裕があるのなら大幅な入れ替えが検討されたと思いますが、内示まで1か月しかなく、すでに財務省の骨格である主計局の人事が固まっており、動かしようがなかったとのことです。

 

 そこで応急処置ということでなるべく影響の出ない人事となり、青木氏を官房長とし、東海財務局長であった齋藤通雄氏(62年)を理財局長に起用しました。

 

 東海財務局長から理財局長になった人事は初めてのことです。そもそも本省局長に異動した人事はありません。従来は、本省に戻るのであれば、審議官、局次長、ほかの地方局長、あるいは預保や政府系金融機関などに出向というパターンです。如何に特異であったということの証左でしょう。一部の新聞報道にもありましたように齋藤局長のそれまでの理財局でのキャリアが評価されたという面もあります。

 

 官房長人事に関しては、昨年このコラムで「元年入省同期の小野平八郎氏の大臣官房総括審議官と宇波弘貴主計局次長の留任くらいのものではなかったかと思います。太田前事務次官が最も信頼していた宇波氏が総括審議官になると見られていました。」と書きました。これは間違いでした。まさか宇波氏が岸田総理秘書官になるとは知りませんでした。

 

 岸田内閣発足時に首席秘書官となった嶋田隆氏(元経産事務次官57年)が宇波氏の厚労関係の厚い人脈を頼んでの人事でした。宇波氏は厚労省とのつながりだけでなく、厚労主計官時代からの日本医師会とのパイプも太い方です。財務省からすでに中山秘書官(4年)を送り込んでいますので、この結果、財務省からは二人秘書官を送り込むことになりました。これまでにないことです。

 

 今年は宇波氏の官房長説もありました。岸田総理が打ち上げた大きな厚労省改革である「こども家庭庁」の設置と「感染症危機管理庁」の新設という実績を上げていますので、本省に戻るという選択もあったはずです。しかし、そこは官邸側が離さなかったということです。後者の感染症危機管理庁の設置は決まったものの、法案ができていないという事情もあります。ほかにも岸田総理が必要としている理由もあるのかもしれません。宇波官房長説が消えて矢野次官お気に入りの小野氏となったわけですが、まさかの事態となりました。

 

 なお、小野事件については、理解できないことがあります。なぜ、深夜なのにタクシーを使わなかったのか、最初に報道したのがTBSだけだったのか(察回りの記者ならば当然知っているはずなのに他社は報道していない)、被害届は出さない意向だったのに、警察に促されて被害届をだしたこと、いまだに示談が進んでいないこと(これは実際のところわかりません。終わっているかもしれません。未決着ということもあり得ます)等々。普通、酔っぱらいの暴行ならば、示談でおわり、不起訴です。まあ、それにしても官房長の椅子を失った代償はあまりにも大き過ぎました。

 


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Never die in Tokyo

金融庁は東京金融市場の国際化を進めるための施策を矢継ぎ早に打ち出している。橋本総理の金融ビッグバン構想から始まり、2016年には小池都知事が国際金融都市構想を公表した。しかし、鍵を握っているファンドマネージャーに関する規制と税制がネックとなり、進捗ははかばかしくなかった。香港市場の凋落の機をとらえ、一気に打開したのが、氷見野金融庁。昨年12月、本来はコロナ感染対策である政府の総合経済対策(菅総理としては初の総合経済対策)にどういう理屈付けをしたのか、「世界に開かれた国際金融センターの実現」という項目をすべり込ませ、税制改正、さらにはファンドマネージャーの在留資格要件も緩和するなどの方針があれよあれよという間に決まった。須らく役所の仕事は危機時に大幅に動き出すが、教科書通りの作戦勝ちだろう。ちなみに氷見野長官が関係者を説得するときに使った殺し文句は「Never die in Tokyo」だった。

 

◎外人たちの囁き―東京で死んではならない

 

 東京金融市場を国際化する最大のポイントは、如何に多くの海外からファンドマネージャーを引っ張り込むかにかかっているといっても過言ではありません。ロンドン然り、香港然り、シンガポール然りです。そのファンドマネージャー達が集まるといつも話題になるのが、東京でのライフプランの悩みだそうです。なかでも結構深刻な話題になっていたのが、相続税課税。「Never die in Tokyo」なのだそうです。

 

 なぜ、東京で死んではならないのか。10年間以上、東京で仕事をしているファンドマネージャーが亡くなると、相続税課税対象が日本の資産だけでなく、妻子のいる本国分の資産まで対象となってしまうからです。人によってもちろん違いますが、毎年、何億円も稼いでいるファンドマネージャー達の本国の資産は相当なものでしょう。

 

 海外の相続税負担は概して日本より低い(甘い)のです。たとえば、アメリカでは相続税の基礎控除額は545万ドルもあります。5億円以上も控除できます。イギリスやフランス、ドイツも相続税はありますが、その税率は日本よりも低めです。もっといえば、世界的に相続税率は低下、あるいは廃止の流れにあります。イタリアやカナダ、シンガポール、オーストラリアには相続税はありません。北欧諸国も相続税を廃止しました。中国やインドも相続税がありません。加えて、イギリス、ドイツ、フランスは、相続税制度を廃止する方向で検討が進んでいるようです。

 

 日本では、最大55%の相続税を払うことになります。こりゃ、たまらんというわけです。この話を聞きつけた氷見野長官が、このキャッチーな言葉に飛びついたと聞きました。センスがいい方です。そして、令和3年税制改正(4月1日施行)では、ファンドマネージャー達の相続税は「勤労等のために日本に居住する外国人について、居住期間にかかわらず、国外財産を相続税の課税対象外とする」となりました。アメリカで蓄えてある資産はお構いなしとなったわけです。

 

 さらに、所得税については、いわゆるキャリード・インタレストが、総合課税(累進税率、最高55%。地方税込み)の対象ではなく、「株式譲渡益等」として分離課税(?律20%)の対象となることが明確化されました。

 

 ファンドマネージャーが個人としてファンドに投資して得た利益分配が大きく、この税の扱いが海外と比べ負担が大きいことがファンドマネージャーのやる気を殺ぎ、東京に来ない理由の一つとなっていました。今回の税制改正で香港やシンガポールにほぼひけをとらない税制となりました(シンガポールの所得税率は最大22%)。

 

◎東京に戻れるのかわからない不安

 

 ファンドマネージャーのもうひとつの懸念は、「東京に戻れるかどうかわからない、長く働けるかどうかわからない」という不安です。東京で働き、本国に帰ったファンドマネージャーが再度、東京で働くとき(あるいは短期滞在から長期滞在への切り替えるとき)、本当に在留資格がとれるのかどうか、わからないというのです。

 

 在留資格については明確なルールがあります。ただ、少し言いにくいのですが、入管の現場では裁量が結構、働いているようです。ならば、ルールで優遇し、はっきりと有為な人材は永住権をとれるとすればよいではないか。いろいろと細かいルールなのですが、ざっくり言えば、法務省がガタガタ文句をいうなら、金融庁が有為な人材だと認めてしまえばいいというわけです。

 

 例えば、日本人がアメリカでファンドマネージャーとして働くときの審査基準(グリーンカード)よりも、アメリカ人が日本で働くことの基準のほうが緩くなると思います。香港との比較をしなければなりませんが、香港は簡単に就労ビザが取れますが、期限は1年。更新が必要です。更新はすべて裁量です。でも日本よりも簡単に更新できるようです。しかし・・・香港自体が沈没しかかっていますので、ここで比較しても意味はないでしょう。

 

◎日本橋兜町に金融庁の新オフィイス

 

 東京金融市場の国際化を阻害してきた理由は3つあるといわれています(実際にはもっともっとありますが)。ひとつが税制、二つ目が在留資格、以上2点は解消しつつあります。そして第3は、当局と英語が通じないということです。

 

 金融庁は、この10年ほどの間に職員の英語力強化を進めてきています(森長官時代から加速したように思います)。加えて海外事業者との接点を集約した「拠点開設サポートデスク」を2017年に開設。さらにこの6月から日本橋兜町に新オフィイスを作り直しました。ビジネスの中心に許認可の拠点を置くのですから、至便というべきでしょう。

 

 いま、外国株投信の残高の増加が顕著です。あれだけ海外投資に慎重であった個人が投信というツールで間違いなく。海外の株式投資に突っ込んでいます。その運用を任されているのが、「外人」のファンドマネージャーです。多くのマネージャーが必要になっています。

 

 大英帝国の遺産を引き継いだロンドンには及ばずとも、中国化・国家管理統制が厳しくなり、中国メインランドにいずれ引き渡される香港の金融仲介業を横取りできるのは、シンガポールか東京くらいのものでしょう。シンガポールとの競争に勝つ確率は50%を超えると思います。たとえば、いずれシンガポールの中国系住民も人民元の決済のなかに埋没します。資本市場の自由化も制約されるとみています。その背景には中国の軍事力の増強があります。平和な時代の産物であるシンガポールが安全な金融都市として生き残る確率は下がり始めるはずです。この見方に反対される方は多く、不愉快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。ご容赦下さい。

 

 さて、東京金融市場の国際化は、間違いなく国策である「貯蓄から投資」を推進します。この旗を立てている限り、金融庁にとっては錦の御旗。おそらく、これからも、なんでもありありの施策が展開されるはずです。

 


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改正金融機能強化法とリファイナンス狙いの銀行

金融機能強化法が改正、施行され、経営者責任を問われず、また収益目標を約束しなくとも公的資金が借りられることとなった。菅総理の地銀再編発言もあり、先の地域銀行の再編についての特例法とこの改正金融機能強化法により地銀の統合が進むという話題が盛り上がっている。しかし、関係者の話を聞く限り、再編の動きは聞こえてこない。昨年、発動した早期警戒制度による行政処分を一時停止し、むしろ、改正金融機能強化法による公的資金の返済資金のリファイナンスを優先させようとしている金融庁の方針が注目される。

◎菅総理の誤解?

 

 菅総理が9月2日の自民党総裁選の出馬表明会見で「地方の銀行について、将来的には数が多すぎるのではないか」と発言し、さらにその翌日、「再編も一つの選択肢になる」と再編に唐突に言及したことには、いささか驚きました。およそ、一般の国民が関心をもつ政策テーマなのかどうか疑問だからです。おそらく、銀行関係者を除けば、それって何の意味があるの?自分の生活に関係あるの?という反応だったと思います。

 

 菅総理は誰かに地方創生と地銀再編がリンクすると囁かれた(アドバイスを受けた)ものと思われます。結論から言えば、リンクなんかしません。おそらく誤解です。地銀再編によって、地銀の経営力が1+1=2以上になると誤解したのだと思います。しかし、規模の利益を追った昔はともかく、いまの再編は、1+1=<2が現実です。縮小均衡の手段といっても差し支えありません。菅総理は経営体力、つまり資本バッファが厚くなれば地域の中小企業のリスクを取れると考られたのだと思います。

 

 残念ながらいまの再編はそのような夢物語に結びつきません。現実には、たとえば取引先企業の選別が強化されます(再編する際に互いに資産をデューデリしますので)。金融支援の打ち切りが目に見えています。廃業や倒産も加速するはずです。本当に菅総理がこうした新陳代謝を促進するような新自由主義的な発想を持たれているなら、確信犯ということになります(多分、違います)。

 

 菅総理発言は公的資金にリンクする話題です。霞ヶ関、本石町の関係者からその発言の真意についてどう見ているのかと伺った結果を総括すると以上となります。いろいろな見方が出ました。総理と昵懇の大樹総研筋からのアドバイスという見方もありました。単に内閣官房の側近たちや金融庁幹部からのレクを自身で解釈したという見方もありました。ただ、共通していたのは誤解ではないかという解釈でした。(何か大構想を練られているのであれば失礼致します。一応、イクスキューズさせて頂きます)

 

◎狙いはリファイナンス

 

 さて、本題に入ります。今年の通常国会で成立した改正金融機能強化法はどう使われるかということです。

 

 新型コロナ特例という条文が追加され、これに該当する銀行(まあ、ほとんどの銀行が含まれると思いますが)が公的資金を入れる際に、従来、厳しく求められていた収益・効率性目標や役員の責任追及を求めないばかりか、資金注入期間も無制限、公的資金の配当率を引き下げるなど、注入条件を思いっきり緩和しました。モラルハザードの懸念があります。(従来の厳しい条件によって、優秀な頭取が否応もなく辞任に追い込まれて来ました。小生の知人で辞任された方は何人もいらっしゃいます。だから条件緩和は、いいことでもありますので、全面的に否定するものではありません)

 

 これだけ公的資金が入り易くなれば、公的資金を申請する銀行が増える、あるいは再編を伴う公的資金の申請が増えると想像されますが、どうやら活用を検討している銀行は、既存の公的資金の入れ替え、リファイナンスのようです。8行からの打診があると仄聞しております。

 

 最初に旧金融機能強化法による公的資金が入ったのが2009年のことです。このときの注入条件は返済期間が15年間となっています。つまり、2024年3月までに返済しなくてはなりません。まだ、時間があるのではないかと思われるかもしれません。

 

 しかし、公的資金を入れた銀行は、3年ごとに経営強化計画を当局に提出する義務を負っています。2024年3月を最終期限とする経営強化計画の始期は、来年の2021年3月です。この計画のなかで返済が実現可能であるという合理性のある説明が求められます。

 

 具体的な銀行名は挙げませんが、2024年の最終期に突如として返済原資の準備金が積み上がる計画書を提出している銀行があります。しかも、返済は可能としながらも、返済すれば自己資本比率が激減するケースもあります。

 

 いくつかの銀行では「本計画期間中での公的資金返済に向けた出口戦略を明確にするため、新たな資本調達についても検討を開始しております。」「資本政策を含めた幅広い検討に着手する必要があると認識しております。」と資本政策の必要性があると認めているのです。こうした銀行は公的資金を借り換えなければ、最低自己資本比率を維持することができません。

 

 借り換えは一度、返済したうえで新規に公的資金を受けるという形をとります。資金は新しい優先株式(あるいは普通株式)なので、定款変更が必要です。変更するには、株主総会の議決が必要なので、臨時あるいは定期の総会開催で議決しなくてはなりません。2021年6月の定期総会では、計画書の提出期限を超えてしまいます。となると来年の3月末までに臨時株主総会を開催しなくてはなりません。忙しいのです。

 

◎経営強化計画の骨抜き

 

 まあ、借り換えてもいいのではないかと個人的には思いますが、その銀行が今回、新規に設けられたコロナ特例で申請してきたときに、従前の条件と天と地の違いが生じてきます。これまで12年間に渡り、収益と効率化の指標を公表し、役員の責任を多少なりとも感じつつ経営してきた銀行が突如として、一切の制約なしに公的資金を入れ替えることに違和感があります。大なり小なりコロナの影響を受けない地域はないので、おそらく改正金融機能強化法の特例を使うのは目に見えています。多分、本則で借りる銀行はないでしょう。

 

 100歩譲って、仕方なしとなっても、疑問が残ります。3年ごとの経営強化計画の提出義務は残りますので、計画は公表されます。しかし、その中には、前述のように目標となる数字が一切ありません。実質、銀行が毎年発行しているディスクロージャーと変わらないのではないかと思います。計画書に意味があるのでしょうか。

 

 リファイナンスの需要に対し、応えることに意義はあるとして、仮に新規の申請があった場合、当初からノーペナルティで、期限のない公的資金を簡単に入れてよいのかどうかという懸念です。コロナ特例の資金は、いわば出口のない公的資金です。また、SBIグループ地銀が大挙して申請する可能性もあります。拒否できるのでしょうか。なにしろ、経営破たんすれば、税金の投入となるわけですから、公的資金に注入基準が見えないことには一種のもどかしさが残ります。

 

 金融庁は昨年、早期警戒制度に基づくモニタリングを開始しました。スクリーニングを経て、今年の6月までに第2段階の抽出を終えています。最後の第3段階では、行政処分するか、否かということになります。それがいまだに発動されていません。もしかするとこの行政処分と平仄を合わせ“戦略的”に活用しようとしているのかもしれません。行政処分先への注入ならば理屈が成り立ちます。しかし、処分先でない銀行から申請された場合、どうするのでしょうか。


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